雑談散歩

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内田百閒の小説「南山寿」に描かれた「陰」的な存在

なんざんす
国立国会図書館デジタルコレクション」より。

小説のタイトルになっている「南山寿(なんざんじゅ・なんざんのことぶき)」とは、漢語で、長寿を祝う言葉であるとのこと。
また、生命や事業がいつまでも続くことを示しているとも。

内田百閒は小説「南山寿」の発表前に「なんざんす」という随筆を著している。
随筆「なんざんす」には、漢詩のダジャレ読みが「御伝授」されている。
「父母若得南山壽」という漢詩について、「父は親であり、母も親であるから、父母は『おやおや』と読む」とある。
そして、上記漢詩の読みは「おやおや若しエ、なんざんす」であると述べている。
「なんざんす」については「何ですかノ廓言葉也」としている。

小説「南山寿」の執筆がなかなか捗らないときの苦し紛れのダジャレのようである。
であるから、小説の題名である「南山寿」は、随筆に倣って「なんざんす」と読むべきかもしれない。


作中で「南山寿」が、唐突に話題になるシーンがある。
主人公の「私」が、「女」と料亭の座敷で食事をしているときに、その席に「新教官」の男が闖入してくる。

この男に「私」は、「南山のことぶきと云う事を申しますね」と話しかけられる。
男は「先生などは南山の寿を楽しんで居られればいいので、羨ましいです」と続ける。

「先生」とは「私」のこと。
「新教官」とは、「私」が退職した官立学校の後任として教職についた男のことである。

内田百閒は1934年に、それまで勤めていた法政大学を辞職している。
教職員の派閥対立によって起きた「法政騒動」のために、集団辞職した予科教授・講師の中に、内田百閒も含まれていた。

この騒動についてウィキペディアでは「それまで『自由と進歩』を誇りにしていた法政大学の学風は、野上と入れ替わる形で顧問に就任した荒木貞夫(陸軍大将)や、騒動の調停に一役買った校友の竹内賀久治とその一派によって著しく損なわれることになる」と解説している。

このとき百閒は46歳。
作中では、50余歳の「私」が「まだそんな年ではないつもりですよ」と、「南山の寿」を言い出した「新教官」の言葉に抗っている。

小説「南山寿」は、「法政騒動」の5年後の1939年3月に「中央公論」に発表されている。
この小説は、法政大学を追放されたという内田百閒自身の体験が元になっていると言えるであろう。
小説では、法政大学が官立学校に替えられている。


主人公の「私」は、退職した後、次の職を求めるために知り合いの「学士」の家を訪れる。
しかし、芳しい結果が得られずに帰ろうとしたときに、地震が起き、慌てた「学士」の「家内」に突き飛ばされそうになる。
ちょっとユーモラスな場面である。
しかし、笑える場面はここしかない。
小説には、不吉な陰翳が見え隠れしている。

内田百閒の小説では珍しいことではないが、「南山寿」でも、登場人物に名前は付いていない。
「私」の妻は「老妻」。
後任の若い教官は「新教官」。
「老妻」の死後に女中として雇い入れた「下女」とその息子の「男の子」。
「学士」とその「家内」。
元芸妓だった知り合いの「女」。
彼女は後に「私」の恋人になる。

これらの登場人物が「陰」と「陽」に分けられているようにブログ管理人は感じた。

「陰」とは陰鬱であり、陰(かげ)に何かが隠れているという「陰」
対して「陽」は、明るく希望的な何か。

苦労が絶えないまま寂しい境涯を送り、突然亡くなってしまった「老妻」は暗い陰(かげ)のような印象である。
「私」に何かとつきまとい、会う度に不気味さを増している「新教官」は「陰」世界の不快な人物。
奇怪な行動をとる「下女」と「男の子」は、「陰」世界の囚われ人。
不誠実な「学士」と、「家内」も、「陰」世界の小市民。

職を失って、これらの「陰」に囲まれている「私(百閒)」の陰鬱な気分が、「南山寿」という言葉の響きをしらじらしいものにしている。

そして「陰」の反作用としてか、元芸妓の「女」が「私」に安らぎをもたらしている。
彼女は唯一の「陽」的な存在であり、儚い希望である。

それともうひとつ。
この小説に登場する「牛乳屋の車」と暴走する「馬」の存在が気になる。
「牛乳屋の車」「白い胴体に真赤な車輪をつけ」ている。
これで思い浮かぶのは、日本の国旗「日の丸」だ。

「南山寿」が発表される前年の1938年には、戦時体制が強化され、社会全体で戦争に向かう動きが加速している。

4月には、「国家総動員法」が公布され。
5月には、日本軍が徐州(中国)を占領し。
10月には、日本軍が武漢三鎮(ぶかんさんちん:中国)を占領した。

こんな時代背景で暴走する「馬」は、大日本帝国陸軍を表しているのではないだろうか。
まだ働けるのに失業してしまった「私(内田百閒)」の内なる陰鬱と、戦争へと突き進んでいく時代の陰鬱。


そして作者は、まだ姿を見せない「陰」的存在を、作中のあちこちに忍ばせている。

たとえば「珍しく玄関に人の足音がして、何人かが這入(はい)って来る様であった」が、実際は誰もいなかった。

あるいは「大雨に打たれている雨傘の音が塀に近づいて、暫く立ち止まった様であったが、又動き出してすぐに辺りの雨垂の中に消えてしまった」とか。

これらの存在は、目に見えない所で陰鬱な気配を漂わせている。

小説の題名である「南山寿」とは、祝福の言葉である。
だが百閒が描いたのは、その言葉の裏側に出没する「陰」的な存在だった。


「色文字」部分:内田百閒「南山寿」からの引用

参考文献
国立国会図書館デジタルコレクション 新輯内田百間全集 第8巻「なんざんす」福武書店
ウィキペディア 「法政騒動」「1938年」など

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