内田百閒の短篇小説「支那人」を読んだ感想
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「支那人」(国立国会図書館デジタルコレクションより)。 |
内田百閒の短篇小説「支那人」は、大正十年(1921年)に文芸雑誌『新小説』に発表されている。
題名になっている「支那人」という語は、当時一般的に用いられていた「中国人」を指す呼称である。
この語が今日では差別的と受け取られることがあるという。
このことを念頭に入れつつ、発表当時の「語感」もまた念頭に入れつつ、小説を読み進めようと思う。
作者は、この当時の日常語を小説の表題にし、「異質な他者」との出会いと、それによって揺さぶられる主人公の内面を描き出している。
この物語は、押しつけがましい「支那人」と、優柔不断であることを後悔する「私」という、対照的な二人の人物を中心に展開している。
二人は「賑やか街」で出会い、「船が衝突してすっすっと沈む港」で再会する。
船で「露地の奥のような所」へ渡り、「石垣の崖」を登った先の「大きな寺のような『支那人の廛(みせ)』」にたどり着く。
そして最後は、怒った「支那人」が棍棒を手に「私」を追いかけ、「私」が「禿山」の見える道を逃げ回るという劇的なシーンを迎える。
ブログ管理人がこう書けば、冒険譚のように思われるかもしれない。
だが、この小説には、「支那人」との関わりの中で露わになる「私」の内面的葛藤が描かれている。
「私」は、「支那人」に金を貸すことを渋りながらも断れず、借金の返済を催促することもできない。
「支那人」との、気の乗らない同行を拒むこともできない。
また、必要のない「支那の齒磨」を押し付けられそうになったりする。
こうした「私」の態度は、いら立ちを覚えるほどである。
その優柔不断さが際立っている。
そこには「借りた金を返さないのではないか」という「支那人」に対する疑惑が、ありありと見える。
だが、疑惑に囚われる気の弱さだけでは説明しきれない。
「私」にはない「支那人」の魅力が、「私」の行動を規定しているようにも思える。
乗船を怖がる「私」に「大丈夫、大丈夫です」と声をかけ、上陸して、崖から落ちそうになった「私」を助ける「支那人」の優しさに、「私」は一時的に彼を「心頼み」にすら思うのだ。
しかし、その安易な信頼は裏切られる。
「支那人」は紅葉見物と偽って「私」を自身の店に誘い込み、商品に文句をつけられると激怒して棍棒を手に追いかけてくる。
そして極めつけは、「大きな顔を泪でいっぱいにぬらして、おいおい泣きながら」追いかけてくるという、予測不能な彼の行動である。
これはまるで、気弱な「私」の疑心暗鬼と、「支那人」の激しい喜怒哀楽とが織りなすシーソーゲームのようである。
逃げる「私」の目に映るのは、「禿山の天辺に、高い松の樹が一本突立ってゐて、大きな枝が人を招くようにゆらゆらと揺れて」いる光景である。
この松の樹は、中国・清朝時代の象徴である辮髪を暗示しているように思われる。
とすれば、孫悟空がお釈迦様の手のひらから逃れられなかったように、「私」もまた「支那人」という存在から決して逃れられないことをイメージしているようでもある。
では、「支那人」が最後に泣いたのはなぜか。
彼を疑い、偏見を持って接した「私」の態度に深く傷ついたからなのか。
あるいは、最初から一方通行の交流であったことに絶望した故なのか。
自己愛が強すぎる故の自己憐憫の涙なのか。
内田百閒は、「異質な他者」との関係性を描くことを通して、「曖昧な恐れ」を浮き彫りにしている。
「異質な他者」との出会いは、決して非日常世界の出来事ではない。
「異質な他者」は、穏やかな日常に入り込むことで、その異質性を発揮する。
そのことについて作者は警告を発しているのだろうか。
いや、そうではないであろう。
内田百閒は、幻想的な方法で、市井の出来事を淡々と描いているに過ぎない、とブログ管理人は感じている。
読者が、「私」の疑心暗鬼や優柔不断に、秘かな共感を抱くかもしれないことを予想しつつ。
「色文字」部分:内田百閒「支那人」からの引用