藤沢周平「おつぎ」思い出と哀愁
藤沢周平の短篇小説「おつぎ」は、三之助の願いを描いた物語である。
三之助の願いは、幼馴染みのおつぎと一緒になること。
その気持ちは決まっていて、三之助に迷いはない。
だが、三之助のおつぎに対する誠実な心はわかるが、それを支える性格の強さは感じられない。
三之助は、料理屋で下働きをしているおつぎとの交際がありながら、亀甲屋の娘であるおてると見合いをしてしまう。
それは美濃屋の主人の顔を立てるためだったり、母親の懇願に負けたりして、見合いを承諾したのだった。
こういう行動に、三之助の弱さが垣間見える。
三之助は、急死した父の店を継いだとき、店の借金も継ぐことになった。
その借金の返済には、同業者の協力が必要であった。
方々の同業者に借金があったが、とりわけ、亀甲屋からは多額に借りている。
亀甲屋は、美濃屋を仲立ちにして、身持ちの悪いふしだらな娘であるおてるを三之助に押し付けようとしていた。
おてるを嫁にもらってくれれば借金の心配がなくなることをほのめかしながら。
美濃屋としても、この婚姻が成り立てば、貸した金の回収が可能になる。
三之助の母も、店の経営を立て直すことが出来るから、そのためだけに、息子とおてるを一緒にさせようとしていた。
おてると見合いした日の夜に、三之助はおつぎに会いに料理屋へ行ったが、おつぎは店を辞めていた。
母親が美濃屋に相談して、美濃屋がおつぎと三之助を会えないように細工した。
事情を知った三之助は、夜の深川の町で、おつぎをさがし歩く。
私は、小説を読み終えた後、三之助はおつぎを探し出すことはできないだろうと思った。
きっとおつぎは、幼年の思い出の中へ消えたに違いない。
三之助は、十二歳のころ八歳だったおつぎを裏切ったことがあった。
河原の粗末な小屋におつぎが祖父と一緒に暮らしていたころのことである。
おつぎの祖父に殺人の疑いがかけられたとき、三之助はその疑いを晴らせるかもしれない目撃をしていた。
殺人があった夜に、あやしい男を見たのである。
そのことをおつぎに告げて、番屋の役人に申し述べることを約束したのだった。
ところが、犯人の仕返しを恐れた母の反対にあい、三之助は番屋へ行かなかった。
三之助は、約束を破ったことをずっと気にしていた。
そして、おつぎと会うようになってから三度目に、ようやく約束を破ったことを打ち明けたのである。
「意気地のない話だからな」と自嘲しながら。
やはり三之助は、意気地のない平凡な男に見えてしまう。
むしろ、結ばれないからこそ「おつぎ」という存在が際立つように思えた。
三之助が彼女を失うことで、読者はおつぎの残像を心に焼き付けるに違いない。
もう行方知れずになってしまったおつぎの残像を。
おつぎは子どもの頃、どこからともなく現れて、やがてどこかへ消えた。
そしてまた三之助の前に現れ、また消えてしまった。
おつぎの哀愁の陰で、三之助が右往左往している。
この小説の主役は一見三之助だが、実はおつぎなのではあるまいか。
題名も「三之助」ではなく「おつぎ」である。
おつぎは、彼の過去の悔恨や現在の弱さを写す「鏡」のような存在として描かれている。
おつぎは、幼い頃の夕暮れの河景色の中にいる。
逆光の中で、河に入って仕事をしている祖父を見守っている幼いおつぎの後ろ姿。
おつぎは、幼年の逆光のなかに消えて、三之助の手の届かないところへ行ってしまった。
三之助は、少年時代にもどることは出来ない。
そんなセンチメンタルな気分に浸れないほど、彼が抱えている問題は現実の義理に縛られている。
三之助を失ったおつぎは、思い出の中に、仲良しだった少年を見つけ出すかもしれない。
結局探していたのはおつぎの方だった。
小説の冒頭で三之助が「誰かに見られている」と思ったことが、それを暗示している。
おつぎにとって三之助は、現実の境遇から逃れ、少女の頃の楽しかった記憶に戻るための「鏡」だったのかもしれない