2015/12/08

笑いの仙人の秘術、笑いの“三年殺し”

「この方はね、笑いの仙人なのよ。」

旅先で入った居酒屋の、50歳を越えたぐらいの女将が、私のグラスにビールを注ぎながら、雑談のついでにそう言った。
紹介された老人は、「どうも」と私に笑顔を向けた。

その辺にいるごく普通の老人だった。
髪も長くないし、白髭もはやしていない。
流木で作った杖も持っていない。
どこにも、仙人という目印が見当たらない。

「へえー、笑いの仙人とはすごいですね。おっしゃる冗談が超ハイレベル過ぎて、下界のものじゃないとか。」と私。

「いえ、実は下界・・・・その外科医でして。」と老人。
「へえー、お医者様だったのですか、すごい。」と私。
「いえ、冗談です。」と老人。

「へっ?!」と私。
ちっとも面白くない。
下手な冗談で初対面の者を笑わそうだなんて。
どこが「笑いの仙人」なのだろう。
そう思ったとき、女将が、またビールを注ぎながら言った。
「仙人の術を使うのよ、うふっ。」

「へー、そう・・・・・。」
私はあきれて、気の無い返事をした。

しばらく沈黙の時が流れた。
老人と女将は、ちらちらと私を見ている。

しかたなく私が口を開いた。
「で、どんな術なんですか。」

「おぬしは空手の“三年殺し”という技をご存知かな。」
老人の口調が、「仙人調」に変わった。
口調だけが仙人っぽい。
「そう、“三年殺し”、うふっ。」と、女将が繰り返す。

「むかし、マンガで読んだことがあるような・・・・“空手バカ一代”とかいうやつで。」と私。

「その“三年殺し”のお笑いバージョンじゃよ」
「へっ?!お笑いバージョンって何?」
「つまり、今おぬしに冗談をかけると、ちょうど、三年後に突然、狂ったように大笑いしてしまうという術じゃ。」
「そんなもの、いったいなんのために?それで私は三年後に笑い死にしてしまうんですか?」と私。
「死にはせんよ、死ぬほど大笑いするという術じゃ。それに、まだおぬしには術をかけておらんよ。」
「どう、すごいでしょ、この仙人さん。」と真顔で女将。
目をパチクリさせながら、自慢そうに言った。

これは、少し笑える。
老人と女将の真顔が、ちょっと可笑しい。
それに、「まだおぬしには術をかけておらんよ。」と、真剣に言い訳するところも、なぜか可笑しい。
いや、この人たちは相当おかしい。
しかし、三年後どころか三日後には、私はもう今夜のことを忘れているだろう。

また、沈黙の時が流れた。

すると、女将が「ビール、もう一本いいかしら」と言って、私の返事を聞く間もなく、ポンと栓を抜いた。
私は、もうこの店を出ようと思っていたのだったが、ま、あと一本ぐらいは良いかと思って、頷いた。

老人は、私に背を向けて、カウンターの端に置かれたテレビを見始めた。
テレビニュースを見ながら、独りでブツブツしゃべっている。
ときどき「バカヤローめ」などと低くつぶやいたり。
その姿は、居酒屋でよく見かける偏屈な老人のもので、仙人とはほど遠い。

「わたしも、おビール、いただいていいかしら。」
女将が自分のグラスを私の前にさし出した。
私は仕方なくそのグラスにビールを注いだ。

「人間は皆、面白い話に影響されながら生きているのじゃ。そしてそのうちに騙されたという気分になったりして暗い顔つきになるのじゃ。」
老人が、突然、誰にともなく語り始めた。
「今のおぬしは、そんな暗い顔をしている。」と言って、くるりと私の方へ振り返った。
「どうだね、笑いたくはないかね。暗い顔を吹き飛ばして、明るい笑顔になりたくはないかね。」
老人の眼が異様に輝いている。

女将は「うふっふっふ」と、私の注いだビールを飲みながら笑っている。

「ごらんの通り、人間は、面白い話に生活の楽しみを見出しているが、本当に面白い話が出回っているじゃろうか。それを正しく解釈しているじゃろうか。おぬしはどう思うかね。」

老人の話は、日常生活の本質に迫るものがあるような、単なる戯言のような。
この老人は、かなり酔いがまわっているのだろうと思ったとき、カウンターの向こうで女将が大声で笑い出した。

今までの「うふっふっふ」が大きな「わっはっは」に変わった。
「えっへっへ」とか「おっほっほ」とかもある。
笑い声はエスカレートする一方。
まるで肉体が抗いがたく笑いに支配されているような有様。

「どうじゃね。」
老人は女将の方へ目をやって、私に言った。
「ちょうど三年前の今夜、笑いの“三年殺し”を女将にかけたんじゃよ。

私は老人と、笑い転げている女将を交互に見た。
なんともばかばかしい。
だが、女将の大笑いの様子には嘘がないように見える。
まあ、飲むと、極端な笑い上戸の女将なのだろう。
私は、妥当な金額をカウンターにおいて店を出た。

女将は笑いっぱなしだし、老人はまたテレビに夢中になった。
外に出ると軒先の赤ちょうちんが風に揺れている。
女将の笑い声が、入り組んだ細い路地に反響している。
地方都市の駅裏の哀愁風景。

笑いの仙人や、“三年殺し”や、笑い出したら止まらない女将。
どこにでもありそうな居酒屋だが、こんな居酒屋がどこにもあるわけがない。
面白い話を聞いたり、騙されたような気分になったり。
という日常。
それはたしかにありそうだ。

などと考えていたら、ちょっと笑えてくる。
思いだし笑い。
たとえば、昔閉められていた笑いビンの栓が、いきなり開放された感じ。

笑いの“三年殺し”か・・・。
どこがという訳ではないが、どことなく可笑しい。

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