2016/07/27

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

芭蕉が亡くなったとされる元禄7年10月12日の日時は旧暦である。
新暦(グレゴリオ暦)では1694年11月28日となっている。
木枯らしが吹く初冬の大坂(大阪)でのことだった。
臨終の床は、久太郎町御堂ノ前、花屋仁右衛門貸座敷と伝えられている。
享年51歳。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

この句は、亡くなる4日前の10月8日に作られた。
夜更けに看護の呑舟(どんしゅう)を呼んで墨をすらせ、口授して一句を筆記させたとされている。
各務支考(かがみしこう)の「芭蕉翁追善之日記」によれば、この日、門人の之道(しどう)が住吉神社に師の延命を祈願したとされている。
呑舟は之道の門人であった。

この句は、芭蕉の辞世の句として広く知られている。
句の前書きに「病中吟」とあるので、芭蕉は辞世の句としてこの句を作ったわけではないという意見もある。

亡くなる10年前「野ざらしを心に風のしむ身かな」と詠って、旅の中に俳諧追究の道を見出した芭蕉だった。
旅先での野垂れ死にを覚悟の「俳諧探求」の旅を続けていた訳であるから、旅先での発句は常に芭蕉の「辞世の句」的性格ももっていたと考えられなくもない。
そういう意味では、掲句は「辞世の句」的である。
しかし、「俺は死ぬかもしれないなぁ」という気分で詠んだ句と、自身の寿命が尽きたことを悟って詠んだ句とは大きな違いがあると思う。
旅の途中で病気で寝込み、旅の歩みは止まってしまった。
しかし、旅に対する思いは冬の木枯らしのように激しく、まだ見ぬ荒野を駆け巡っている。
「俺は死ぬかもしれないなぁ」という思いと「死んでたまるか」という思い。
そういう思いが混じっているような句である。

掲句を作る10日ほど前、9月28日に芭蕉は「秋深き隣は何をする人ぞ」と詠んだ。
この句には「隣は何をする人かは知らないが、私は旅の俳諧師松尾芭蕉であるぞ」というメッセージが込められているように感じられる。
病気で弱った身体ではあるが、強い生存本能・創作本能が働いていたのではあるまいか。

掲句は、「や」、「かな」、「けり」といった「切れ字」を用いていない。
どちらかというと「口語体」調の句である。
この句にある詠嘆は、「・・・・だったなぁ」という過去のものではなく、今まで通り旅を続けて行きたいという未来に対する詠嘆のようなもの。
であるから、詠嘆で停止して余韻が残るようなイメージでは無く、行動的・意志的なイメージの句であると思う。
「枯野」は死後の世界のような雰囲気を持っているが、病床の芭蕉にとっては、今現在の初冬の、現実の枯野なのである。
芭蕉は幻影の枯野を見ているわけではなく、この時期の現実の枯野に旅立つことを夢見てこの句を詠んだのだと私は思っている。

旅の途中で病床に臥せってしまったが、また自分の脚でこの枯れた現実の世界へ旅立とうというリアルな思いの句である。
旅をつづけ、句作を続けることが芭蕉の人生なのであるから。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

この句は、芭蕉の人生観そのもの。
自身が寝込んで停滞している状態を、今すぐに抜け出して行動を起こしたいという意欲がみなぎっている句であると思う。

■参考文献 「芭蕉年譜大成(新装版)」著:今榮藏

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