雑談散歩

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月澄むや狐こはがる児の供

稚児(児:ちご)には、男色の対象とされる若い男性という意味があるとか。
芭蕉の句に登場する「児」は、少年愛の対象であると言われている。
それは下記の句が、句会に参加した七人が七種(ななくさ)の恋を題にして、各々即興句を作ったという事による。
この句会の七人とは、洒堂(しゃどう)、支考(しこう)、憔然(せいぜん)、泥足(でいそく)、之道(しどう)などである。

月澄むや狐こはがる児(ちご)の供(とも)

元禄7年9月28日、畔止亭(けいしてい)での芭蕉の「題詠(だいえい)」の句。
「題詠」とは、和歌、連俳、漢詩などであらかじめ設定された題によって詠作すること。
前もって題を示しておく「兼題(けんだい)」と、その場で題を示す「即題(そくだい)」とがあるとのこと。
この句の前書に「畔止亭において即興」とあるので、「即題」だったと思われる。
この句の前書には、さらに「月下送児(げっかにちごをおくる)」とある。

即興であるから、現実の体験をもとにした創作ではなく、空想や想像によって作られた句と言えるだろう。
芭蕉は、月に照らされた野の道で狐の鳴き声に怯える少年の絵を描いたのだ。

同じ日に、明夜の芝柏亭(しはくてい)での句会のために、予め一句を送り届けている。
その一句は「秋深き隣は何をする人ぞ」
翌日の29日から病状が悪化し、亡くなる(10月12日午後4時)まで臥床の日々が続くことになる。

病状の進展から考えて、28日の畔止亭での「題詠」では、芭蕉の体調は芳しくなかっただろうと想像できる。
恋の「題詠」は、そういう芭蕉を元気づけるための「遊び」だったのかもしれない。
句会の参加者も、まさか芭蕉の病状が急激に悪化するとは思ってもいなかったことだろう。

即興で恋の句を詠った芭蕉は、メルヘンのような世界を描いたのだった。
ところで、狐を怖がっていたのは誰なのだろう。
供である「児」なのか。
それとも、「児」の供をしている芭蕉なのか。

地上を移動していく二人連れ。
天には煌々と輝く月。
その舞台の空間に、狐の怪しい鳴き声が響く。
この句を読む者は、そういうシーンを頭に思い浮かべ、二人連れの台詞を想像する。
芭蕉の「劇」の、「月下送児」の一幕である。

と、舞台は暗転し、臥せった芭蕉が秋深き闇の底で低くつぶやく。
「秋深き隣は何をする人ぞ」

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