2016/09/19

呼かへす鮒売見えぬあられ哉

江戸時代には、食用鮒として、近江国琵琶湖のゲンゴロウブナや二ゴロブナが有名であったらしい。
現在でも、鮒寿司は滋賀県の名産品である。
当時の近江国では、秋から冬にかけてひれが赤くなった琵琶湖の鮒を「紅葉鮒(もみぢぶな)」と呼んでいたという。

(よび)かへす鮒売(ふなうり)見えぬあられ哉
野沢凡兆

この句の鮒は「紅葉鮒」ではないだろうか。
「鮒売」が、琵琶湖の鮒を京の都まで売りに来ていたと思われる。
風流を好む京都の市民は、晩秋の「紅葉鮒」を旬の味覚として楽しんでいたのだろう。

お昼前に通りから、鮒売りの売り声が聞こえた。
妻のおとめ(羽紅)が凡兆に声をかける。
「あなた、お昼は鮒を焼いて食べましょうよ。」
「いいね、私もそう思っていたところだよ。」と凡兆が応える。
戸口に鮒売りを呼んで、鮒を選ぼうとしたが、凡兆ではなかなか判断がつかない。
そこで、おとめを呼びに家の奥へもどる。
すると突然、パタパタと屋根や軒をたたく霰(あられ)の音。
凡兆夫妻が通りに出ると、大粒の白い玉が地面で跳ねている。
頭の上を両手で被いながら、「鮒売りさ~ん!」と大声で叫んだが、鮒売りの姿はもう見えない。
通りを走っていく人、商店の軒に身を隠す人、子どもを呼ぶ母親の声。
通りは騒然としている。
突然降ってすぐに止んだ霰だが、激しい大粒の霰に、通りから人の姿が消えてしまった。
「やれやれ、霰のせいで鮒を食い損ねたね。」と凡兆がつぶやく。
「あら、まあ、そうだわね」とおとめもつぶやく。

そんな凡兆夫妻の様子が思い浮かぶ。
街なかのいっときの騒動が目に浮かぶようである。
この前、凡兆の句について「句から感じる鮮明なイメージの出所は、句の表面には現れていない。俳諧の「言葉」の下に、その句には記されていない風景が見え隠れするのだ。」と書いた。
それを、掲句においても感じる。
鮒売りを呼んだら、霰が降っていて、鮒売りの姿は消えていたという内容の句である。
だがその裏に、霰でたたかれている家並みが見え、街の通りを右往左往している町人たちの姿が見える。
凡兆の句は、読む者の想像力(空想力)を誘導する力を持っている。

この句は叙景的な内容の句であるが、私はその裏に、都市生活に対する凡兆の深い愛着を感じる。
その愛着が、読者を誘導する力の源ではないだろうか。
句の裏に見え隠れする光景は、実際に凡兆が目にしたものである。
その光景が、時を越えて、句を読む私たちにも見えてくる。

呼かへす鮒売見えぬあられ哉

大粒の霰に、あわてて駆け去る鮒売りの後姿が見えるようである。
実際、凡兆も見たのだろう。
だが、あえて「鮒売見えぬ」とした方が、いろんなものが見えてくる。
凡兆は、そう考えたのではあるまいか。

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