2016/10/16

物の中に潜む存在感「物の音ひとりたふるる案山子かな」

「音もなく地面に倒れた」という表現がある。
最後まで倒れるのをこらえながら、ギリギリのところで倒れてしまうと「音もなく地面に倒れた」という状態になるのだろうか。
音は物の存在の証明である。
音が聞こえたということは、音を発生させた物が存在するということ。
「音もなく地面に倒れた」と言っても、音がしなかったとは言い難い。
物が倒れる映像だけを強調しようとすれば、「音もなく地面に倒れた」というシーンが映像としてはあるのかもしれない。

物の音ひとりたふるる案山子かな
野沢凡兆

案山子が物音をたてて倒れたとき、凡兆は改めて案山子の存在に気づかされた思いがしたのではないだろうか。
倒れる前から、案山子は、街はずれの畑の傍らに立っていた。
そのことを凡兆は知っていた。
その案山子が、風も無いのにひとりでに倒れた。
このとき凡兆が注目したのは、倒れた案山子では無いだろう。
凡兆の注意は、ひとりでに倒れた案山子が発した「物の音」に向けられていたのだろう。
音は物を動かす「何か」の存在の証明である。
音が聞こえたということは、音を発生させた「何か」が存在したということ。
物音を発生させた「何か」とは何なのだろう。
風でもない、人の手でもない。
力の作用があったわけでもないのに、ひとりでに倒れた。
動かないと思っていた案山子が、静かに動いて倒れた。
凡兆が感じたに違いない「何か」は、案山子と言う「物」の中に潜んでいたのだろう。

「ひとりたふるる」とは、ひとりでに自ずから倒れるという意。
案山子が傾くにつれて、地面に刺さっていた案山子の一本足が「ぐぐぐっ」と音を立てる。
その物音は、案山子が地面に倒れ込むギリギリまで「ぐぐぐっ」と続いたのだろう。
凡兆は案山子の方へ目をやった。
案山子は、音もなく地面に倒れた。
そのとき、案山子を自ら倒れさせた「何か」が消える。

この句の「物の音」とは、案山子が倒れつつあるときの音。
地面に倒れ伏したときの衝撃音では無い。
そうでなければ、「ひとりたふるる」という「意志的」な表現が成り立たない。
「ひとりたふるる」というムーブメントを描いたときの「物の音」だったのだろう。
 
凡兆にとって「物」とは存在であったのだろう。
言葉のイメージよりも、「物」の存在のイメージを凡兆は俳諧の対象にしようとしたのではあるまいか。
案山子は人間に似せた存在ではあるが、「物」としての案山子は、まったく非人間的で地面に孤立した存在である。
「物の音」とは、そういう存在が凡兆に迫る音であったのかもしれない。
「市中は物のにほひや夏の月」の「物」も掲句の「物」も、凡兆が「物」を通して自身の俳諧を組み立てようとしている試みなのではないだろうか。
凡兆の句の、「物」としての「灰汁桶」や、「物」としての「黒木」にも、それは言えるように思う。
 
「物」のある光景を句にする。
その中で、「物」のなかに潜む「何か」を探る。
「何か」を描き出す。
それが凡兆の試みた叙景なのではあるまいか。

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