2016/12/10

砂よけや蜑のかたへの冬木立

蜑(あま)とは、海で魚や貝を採ったり、塩を作ることを仕事とする人のこと。
漁師とか漁夫の意。
テレビや映画の時代劇で、江戸時代の商人や大工や農夫の姿は多く見かけるが、漁師はあまり見ることがない。
江戸時代の漁師の暮らしについて無知であることは、漁師の周辺を題材とした俳諧を読む上で妨げになるであろうか。

俳諧の言葉には、その当時の現実が反映している。
凡兆は、身近な生活の「もの」を句にして詠う詩人。
その言葉(句)を支えている現実(漁師の暮らし)を知らなければ、凡兆の感性に触れることは出来ないかもしれない。

しかし、俳諧の背景となっている「現実(現場)」の詳細を知らなくても、句の言葉が発しているイメージを受け取ることはできる。
句の読者が受けとめたイメージが、句の作者が作り上げたイメージと異なっていても、それは句を観賞する上での差しさわりにはならないと思う。
俳諧の言葉が持っているイメージの広がりが読者を包み込むとき、そこにその読者独自のイメージが生じるとすれば、それはその読者が持っている感性の働き。
俳諧は、読者の感性の働きを規制するものではないであろう。

砂よけや蜑(あま)のかたへの冬木立
野沢凡兆

「蜑のかたへ」とは、何だろう。
  1. 「漁師のそば」のことか。
  2. 「漁師小屋の傍ら」のことか。
「蜑のかたへ」にある「砂よけ」とはどんなものなのか。
  1. 漁師小屋の傍らに立ち並んでいる「木立」が、防砂林のように砂除けの役割を果たしているのか。
  2. 『この木を利用して「砂よけ」を張ろう』という感じで、ゴザやむしろを、横幕のように木立に渡しかけたものを「砂よけ」と呼んでいるのか。
「冬木立」とは、海浜で林を形成する樹種であるクロマツのことと思われる。
私が知っているのは、クロマツのことぐらい。

冬の海浜で、クロマツの木立が北西の強風に揺れている寒々とした光景が思い浮かぶ。
そんな寂しい風景のなかで、凡兆はどこにいるのだろう。
私は、掲句を何度も反芻しながら、凡兆の姿を探している自分に気がついた。
おそらく、多くの読者が、そうなのではあるまいか。

凡兆の姿を探すと、掲句のシーンが、自ずと思い浮かぶ。
海沿いの街道を歩いていた凡兆は、冬の木立の間に、「砂よけ」のむしろを見つける。
「砂よけ」の傍らには粗末な漁師小屋が建っている。
海浜のクロマツの林は、防風林の役割を果たしている。
その林の中にある漁師小屋。
漁師小屋を囲むように張ってある「砂よけ」。

凡兆は、それらの「もの」を眺めながら、漁師の暮らしを感じ取ったのだろう。
漁師の姿は見えないが、その空間には生々しい生活臭が感じられる。
もしかしたら、「砂よけ」に囲まれた小さな畑の跡があったのかもしれない。

凡兆の視線は、クロマツの木立から「砂よけ」のむしろへ、そして粗末な漁師小屋へと移っていく。
「砂よけ」に囲まれた漁師の暮らしは、当然のことだが、京都という都市の暮らしよりも自然に近い。
凡兆は「砂よけ」に、自然と一体となった漁師の日常を感じたのかもしれない。
「かたへ」には、仲間とか同胞とかの意味もある。
とすれば、「冬木立」もまた、「蜑のかたへ」として、漁師の生き様そのもののように感じられる。

「砂よけや蜑のかたへの冬木立」。

凡兆は、風景をたんたんと句に描く叙景詩人。
掲句には、凡兆の感情表現は見当たらない。
だが、「もの」を見て描くその視線から、凡兆の感情が伝わってくる。

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