2016/12/02

かさなるや雪のある山只の山

八甲田山の各峰の山頂に、白く雪が積もり始める頃は、山麓の雲谷周辺の山には、まだ雪が無い。
秋の中頃から終わり頃にかけて、青森市街地から北八甲田連峰の方を眺めると、ちょうど凡兆の句のような感じに見える。

かさなるや雪のある山只の山
野沢凡兆

掲句は江戸時代中期の俳諧集「阿羅野・曠野(あらの)」に収録されている。
「阿羅野」は元禄2年(1689年)刊。
「かさなるや」の句には「京加生」の名がついている。
加生は、凡兆を名乗る前の俳号。
加生(凡兆)が、世に出た最初の頃の句ではないかとされているのが掲句である。
凡兆は、元禄元年の頃から、宝井其角をはじめとして、蕉門の俳諧師たちと交流を深めたとされている。
芭蕉との出会いも、元禄元年の頃であったらしい。
元禄元年以前の加生(凡兆)についての記事は、今のところ見当たらない。
「かさなるや」の句が、芭蕉よりも5歳ぐらい年上の凡兆のデビュー句であったのかもしれない。

さて、掲句の季節は冬。
遠くの高山には雪が積もっていて、山並が白く続いている。
それより手前の低い山は、まだ雪も無く冬枯れのまま。
その高山と低山が、里から重なって見える様子を詠った句である。
ただそれだけの句なのだが、読む者に鮮明な風景を思い起こさせる。
凡兆の句には、そのような鮮明な印象を感じさせる句が多い。
凡兆の目が、風景の特徴を正確に捉え、それを言葉にしているからなのだろう。

「只の山」とは、山の木々の葉が落ちてしまい、植物が枯れてしまって、山肌が露わになった山のことなのだろう。
何もない茶色の山を「只の山」と凡兆は表現したのだ。
奥の、白く雪のある山は、眺めていて崇高な感じがする。
それに比べて、手前の裸になった山は、ただの平凡な山である。
里の近くの低山(里山)は人の行き来の多いありきたりの山、すなわち「只の山」である。
奥の高山は、人間の進入を拒む天然自然の世界。
平地に住む人々にとって、山は畏怖の対象であり、時には、山は恐ろしい所という恐怖の対象でもあった。
「雪のある山」とはそういうイメージであると、私は感じた。

では、「かさなる」とはどういうイメージだろう。
「かさなる」に「重なる」という漢字をあててみると。
冬になって、雪を被った遠くの高山と、近くの里山が、平地からは重なって見えるという風景描写になる。

「かさなる」に「嵩なる」という漢字をあてることもできるのではないだろうか。
「嵩なる」は「嵩」+「なる(状態の助動詞)」。
「嵩」の古語には威厳とか貫録、大きさの意味がある。
「雪のある山」はもちろんのこと、雪の無い「只の山」も冬になると風景として威厳が増してくるというようなイメージ。

冬が深まるにしたがって、遠くでは雪を被った「雪のある山」が嵩を増し、里の近くでは、植物が枯れて何もない「只の山」がだんだん増えてくる。
そういう冬景色が目に浮かんでくる。

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