骨柴のかられながらも木の芽かな

「骨柴(ほねしば)」とは、小枝や葉を取り去った柴のこととインターネットのWeblio辞書に書いてある。
凡兆の句を読むまでは、私には未知の言葉だった。

骨柴のかられながらも木の芽かな
野沢凡兆

この句を読んだとき、私は冬枯れの裸木の細い枝のことが頭に浮かんだ。
「骨柴」とは、そういうものではあるまいかと思ったのだ。

そう思うと、自ずとそういう空想が広がる。
冬を越すための暖房用として、山へ柴を刈りに行く。
柴刈りの対象となる枝が「骨柴」なのである。
手短なところから、勝手気ままに枝を切って、それを薪にしたのでは森林資源が枯渇してしまう。
むしろ、山の木々の成長を促すための枝切り(剪定)として、柴刈りが行われたのではないだろうか。

山里の集落では、「骨柴」と特徴づけられた枝以外は刈り取ってはいけないという取り決めが、代々受け継がれていたと想像してみる。

山菜採集、狩猟、木炭作り(炭焼き)、水源の確保など。
当時(江戸時代)の山里の集落にとって森林は、生活を維持するためのかけがえのない資源であったことは容易に想像できる。
柴刈りは、森林保全のための重要な仕事だったのだろう。
その仕事の副産物として薪を得ていたのではないだろうか。
自然とともに生きてきた人間の知恵である。

しかし、「骨柴」という冬の季語は無い。
この句には出てこない言葉だが「柴刈り」という季語も見当たらない。
掲句にある季語は「木の芽」で、これは春の季語。

柴刈りを秋や初冬に行うもの思ったのは私の勘違いだったのかもしれない。
薪は暖房用だけではなく、炊事にも必要である。
柴刈りは、春も夏も秋も行われていたに違いない。
そう考えたとき、蕪村の句が頭に思い浮かんだ。

「柴刈に砦を出るや雉の聲」与謝蕪村

雉は春の季語であるから、この「柴刈」の句は春の句である。
となれば、柴刈りは春にも行われる。
凡兆の「骨柴のかられながらも」は、「木の芽」という春の季語があるのだから、春の句であることは確かである。

「木の芽」とは春に芽吹く予定の芽。
ところで、芽は春になって顔を出すわけでは無い。
前の年の夏から秋にかけて樹木の冬芽が葉陰に顔を出す。
この芽が冬に休眠して、暖かくなった春に芽吹く。

春の芽吹きのために長い時間をかけて準備された冬芽。
それは、燃料となる骨柴にも出ていた。

木の成長を促すために、成長し得ない枝であると判定された「骨柴」を伐採して薪にする。
その「骨柴」に出ている「木の芽」を、凡兆は静かに見守りながらこの句を作ったのではあるまいか。

尚、この句の元となっている句が、凡兆の唯一の俳文「柴売ノ説」の文の終わりに書かれている。

「骨柴のかられながらも芽立ちかな」

「柴売ノ説」は、八瀬や大原から京の街へ柴を売りにくる女達の風俗・行動を書いたもの。
凡兆は客観的叙景の詩人という印象を、私は強く感じている。
「大原女」が売り歩いている「骨柴」の「芽立ち」に、凡兆自身がどういう心情を含めたのかについては、「柴売ノ説」で何も語ってはいない。

「柴売ノ説」には、「唯世渡りのよすがにして、女は都に出てこれを売り、」とある。
暮らしの手段として「大原女」が売り歩く「骨柴」。
その「骨柴」は、ただの薪のように見えるが、山で育まれた「芽立ち」も見える。
刈られたものではあるが、まだ滅びてはいないものをも山から連れてきている。
そんな自然の息吹を、「大原女」は各家庭に届けているのだ。

骨柴のかられながらも木の芽かな

この句もまた、凡兆の日常に対する独特の視点が感じられて興味深い。

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