2017/06/10

芭蕉と清風の俳諧バトル?「花咲て七日鶴見る麓哉」

七吟歌仙

「芭蕉年譜大成」に「貞享三年三月二十日 七吟歌仙あり。」とある。
連衆は、芭蕉、清風、挙白、曾良、コ斎、其角、嵐雪。
この歌仙の発句は、宗匠である芭蕉が詠んでいる。
脇句を清風が詠んでいるから、清風が連句会場の亭主なのだろう。

鈴木清風

鈴木清風は、尾花沢出身の江戸時代前期の俳人。
尾花沢を代表する豪商で、金融や紅花の取引で成功し巨額の富を得たと伝えられている。
その当時、家業は父親が仕切っており、清風はやり手の若旦那として尾花沢から江戸や京都に出かけることが多かった。
その傍ら風雅の道にも通じていて、芭蕉と交流を持つようになったという。
後に芭蕉が「おくのほそ道」の旅で尾花沢に立ち寄ったときは、清風の歓待を受けたという「言い伝え」が残っている。
その伝えられている人物像は、山形県尾花沢市にある「芭蕉、清風歴史資料館」で知ることができるようだ。

そんな豪商の清風だから、跡取り息子の当時から、江戸に屋敷を構えていても不思議では無い。
貞享三年三月二十日の七吟歌仙は、清風の江戸屋敷で巻かれたに違いない。

芭蕉の挨拶句のイメージ


花咲て七日鶴見る麓かな
松尾芭蕉

句の前書きに「三月廿日即興」とある。
芭蕉は招かれた客として、「即興」で「挨拶句」を詠んだ。
挨拶句であるから「花」や「鶴」というおめでたい言葉で清風の屋敷を飾ったのだろう。
「花」とは桜のこと。
「花七日(はななぬか)」という言い回しは、江戸時代にもあったのだろう。
「花七日」とは、桜が咲いているのは、わずか七日間ほどの短い間であるということ。
盛りの時期は短くて儚いという喩えとしても使われる言い回しである。

案外芭蕉は、清風に対して「今は商売がうまくいって、隆盛を誇っているが、その時期は意外と短いかも」という意味も含めて「花咲て七日」と詠んだのかもしれない。
そして、七日で散る桜を「鶴」で救ったのではあるまいか。
「散る」を「鶴」とダジャレたのだとしたら面白い。

この句には、裏のイメージと表のイメージがあるように私は感じている。
裏のイメージとは「花が散る」イメージである。
かつて尾花沢は山形藩の領地であったから、掲句の「麓」は山形藩の「山」に掛けた言葉のようにも受け取れる。
山形では、満開の花のような隆盛を誇っているが、その花も麓の江戸では散ってしまう儚い運命にあるのではというイメージ。
芭蕉の皮肉である。

一方、表のイメージは。
賑やかな山桜を七日間も見物でき、そのあいだ麓の里で長寿で幸運のシンボルである鶴を見ているような。
清風さんのお屋敷は、そんな雅な雰囲気に包まれておりますなぁという芭蕉のおべんちゃら。

掲句の前書きにわざわざ当日の「即興句」とつけたのは、芭蕉が前もって案を練った仕掛けのある句であることを隠すためではあるまいか。
これも例によって、ヒネクレ男である私の独断的な推察ではあるが・・・。

清風の反撃的脇句

芭蕉の「挨拶句」に対する、主(あるじ)である清風の返事(脇句)はどうだろう。

懼(おぢ)て蛙のわたる細橋  清風

「懼(おぢ)て」とは「怖(お)じて」のこと。
「こわがってビクビクして」とか「おそれて尻込みして」というような意味。
水面にかかった細い橋を、ビクビクしながら蛙が渡っているというイメージ。

ビジネスの駆引きに長けた清風は、芭蕉の「挨拶句」の裏のイメージに気づいていたはずである。
この歌仙のちょっと前に、深川の芭蕉庵で芭蕉が句合「蛙合(かわずあわせ)」を興行したことを清風は知っていたのだろう。
芭蕉はその「蛙合」で、有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」を披露したのだった。
その句を踏まえての清風の脇句だったのではあるまいか。
芭蕉を蛙に喩えて、「あんただって俳諧師という綱渡りのような職業で、ビクビクしながら、ようやっと暮らしを立てているような有様じゃないか。」と反撃した。

芭蕉の挨拶句に対して、清風はこの脇句を即座に返したのかどうか。
それはわからない。
連句は真剣勝負である。
何が出るかわからない前句が発表されてから、はじめて応戦を組み立てなければならない。
数々の商取引を優位に運んで、商人として成功してきた清風は、連句のバトル的一面に惹かれて俳諧に興味を持ったのではないかと私は推測している。
 
清風は、この歌仙を同年板行の「俳諧一橋」に採録。
鈴木清風編「俳諧一橋」の原典は「早稲田大学古典籍総合データベース」で見ることができる。

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