藤沢周平の短篇小説「密告」を読んだ感想
「密告」という行為に、表と裏があるように、この物語の裏に、もうひとつの物語が暗示されている。
「密告」とは、公的な秩序を保つための情報提供であると同時に、個人的な恨みや復讐の対象にもなり得る行為である。
藤沢周平は、この表裏一体の「密告」の性質を、二人の登場人物の行動を通して描き出している。
小説「密告」に描かれているミステリーは、主人公の定回り同心・笠戸孫十郎の犯人捜しの物語である。
その裏には、父親を島送りにして死なせた復讐相手を探し出すための、善太郎の物語がある。
作者は善太郎の行動を正面から描いてはいないが、読者の想像を通して、それを浮かび上がらせようとしているように思える。
これが「裏の物語」だとブログ管理人は考えている。
物語の進行は、孫十郎の視点に重点が置かれている。
善太郎の探索行動に沿った物語を平行して描き、表の物語と対比させるという描き方は採られていない。
作者はあくまでも、定回り同心・笠戸孫十郎の善良ぶりを全面に出そうとしたように思われる。
「密告」に対して否定的な、孫十郎の善良さを「密告」という行為と対比させたのだ。
孫十郎と善太郎の、謎解き推理のきっかけとなっているのは、「密告」を生業とする磯六の存在であった。
磯六は、孫十郎の父である定回り同心の笠戸倉右衛門が使っていたいぬ(密告者)だった。
倉右衛門が死んだあと、磯六は孫十郎に繋ぎをつけようとしたが、孫十郎はそれを断った。
以来3年、孫十郎は磯六と会っていない。
その磯六が殺され、磯六の死体があった場所で、孫十郎は弓矢に射られそうになる。
孫十郎の妻は、数日前に事故で大怪我をするところだった。
これらは、自分たちに怨みを抱いている者の犯行ではないか。
そう思った孫十郎は、父親の手文庫を探り、事件を解く鍵を見つける。
磯六の「密告」で島送りになった老年の男がいた。
その男は一年前に亡くなっていて、素行の良くない善太郎という息子がいるという。
孫十郎は、犯人は善太郎でなないか推測する。
だが、その善太郎も推理に推理を重ねて孫十郎に辿り着いたはずである。
博打好きな善太郎は、賭場で磯六と知り合っていた。
おそらく、何度も探りを入れるなかで、磯六が父親を密告した「いぬ」だと突きとめたのであろう。
酒が好きな磯六に酒をすすめて、善太郎は父親の遠島が倉右衛門の仕業であることを知り、その息子の孫十郎のことも知ったのだ。
善太郎は、孫十郎の行きつけの店を探り当て、店の賄場で働きながら、復讐のチャンスが来るのを待っていた。
まだ善太郎の顔を知らなかった頃、孫十郎は、岡っ引きの伊勢蔵に「俺が和泉屋の息子なら、何をおいても父親を密告した奴を、どこまでも尋ねて探し出す」ともらしている。
この台詞は、善太郎の「どこまでも尋ねて探し出す」物語を示唆している。
ひとつの物語を描けば、隠された裏の物語が浮かび上がってくる。
作者は裏の物語を意図して隠したわけではない。
短篇小説というジャンルは、紙数が少ない分、読者に想像の余地を与えている。
おそらく、この小説のテーマは、「密告」という行為の善悪を問うことではないであろう。
作者は、その行為がもたらす複雑な人間関係や、因果の連鎖を読者に示しているのだ。
「密告」にまつわる物語の裏側に、もう一つの物語が隠れている。
その存在を示唆することで、藤沢周平は人間の感情と、避けられない業を描き出していると思われる。