2017/06/18

宇宙的な芭蕉、日常的な凡兆

宇宙的な松尾芭蕉

松尾芭蕉の句に「賤(しづ)の子や稲すりかけて月を見る」というのがある。
この句の「賤」という語を辞典で調べると、「身分が低い人、卑しいこと」という「意味」が書かれてある。
  1. 芭蕉の生きた江戸時代での「身分の低い人」とは?
  2. 芭蕉は、裕福な商人とのつき合いが多かったので、上から目線で「賤の子」という言葉を選んだのだろうか?
  3. 美しい「月」と卑しい身分の「賤の子」との取合せ(俳諧の技巧)に興じていたのだろうか?
  4. 「月」の美しさは、万民に対して平等であるというメッセージなのか?
などと、この句は、いろんな思いを抱かせる。

貞享四年の八月に、芭蕉は、月見と鹿島神宮参詣を兼ねて旅に出ている。
いわゆる「鹿島紀行」の旅である。
芭蕉年譜大成によれば、「賤の子や・・・」の句は、その旅中吟となっている。

「稲すり」とは「籾摺り(もみすり)」に入る前の「脱穀(だっこく)」のこと。
「脱穀」とは、乾燥させた稲の穂先から籾(もみ)を落とす作業。
「籾」は「籾殻(もみがら)」がついたままの米のこと。
こういう「稲作用語」は、現代では、田園地帯に生まれた者でないと、なかなか知りようがない。
私も子どもの頃は、「稲すり」や「籾摺り」を手伝ったことがあったが、手伝いながら月を眺めた経験はない。

「賤の子」とは、農繁期のときだけ農家へ手伝い(奉公)に出される貧しい家の子どもなのかもしれない。
そういう身なりの貧しい少年が、「稲すり」の作業の手を止めて、美しい月に見とれている。
そんな少年を見て芭蕉は、自身の幼少の頃を思い出しでもしたのだろうか。

「月」を見て仕事の手を止めかけたのは、少年が自身の行末を案じていると芭蕉が感じたからだろうか。
それとも、「月」を眺める少年の面差しに、芭蕉は「賤の子」の心の気高さを感じたのだろうか。

きっと江戸時代の農業は、満月とか新月とか、「月」に導かれて行われていたに違いない。
地上の人間は、みな「賤の子」で、その人間が宇宙の「月」に導かれて生業をたてているというイメージ。
人間と月が対応しているという、芭蕉の宇宙観の表れなのかもしれない。
などとこの句は、いろんな思いを私に抱かせる句である。

日常的な野沢凡兆

そんな芭蕉の「稲」の句に対して、凡兆の句はもっと日常的である。

稲かつぐ母に出迎ふうなひ哉
野沢凡兆

この句は、元禄四年刊の「猿蓑」に収録された凡兆の発句。
「うなひ」を辞典で調べると「髪をうなじのあたりで切りそろえ、垂らしておく小児の髪形。」とある。

生活詩人凡兆の句である。
もしかして「母」が担いでいる「稲」は、農作業の手伝いの報酬として雇い主の農家からもらったものかもしれない。
「母」と子ども達の、その日の晩と翌朝の「食い分」である。

「母」は、やっと手に入れたその「食い分」を担いで家路を急ぐ。
その途上で、自分を迎えに来てくれた子ども達の無邪気な笑顔に出会う。
夕暮れの田舎道。
貧しさとささやかな幸福感が出会った瞬間を、凡兆は句にしたのだと、私は感じている。

「母」が担いでいる「稲」は「母」の労苦の結晶であり、子ども達の希望である。
そんな「もの」としての「稲」を凡兆は句にしたのだ。
日常の「もの」を描くことで「日常」の存在感を強く浮き立たせようとしたようにも思える。
この句でも凡兆は、「もの」を描くことで「もの」の存在感を表現しようとしたように思える。

同時代のふたりの俳諧師の「稲」の句を読んで私が感じたのは以下のことである。
凡兆は、自然と人間の産物である「稲」を、「母」と「うなひ」の子ども達のドラマの題材とした。
芭蕉は、宇宙の「月」と地上の人間の産物である「稲」を、少年のドラマの題材とした。凡兆の「日常観」と芭蕉の「宇宙観」。
後のふたりの隔たりの原因は、「視線」のすれ違いだったのかもしれない。

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