2017/10/07

病雁の夜寒に落ちて旅寝哉

「雁(がん)」と言えば、森鴎外の同名の小説を映画化した「雁」。
この映画をテレビで見たのは、今から五十年ぐらい前のこと。
たしか高校生だった時。
どんな内容だったのか、ぼんやりとしかおぼえていない。
昔のことは忘れていく。
時が過ぎていくとともに。
ただ、名優東野英治郎の憎々しげな顔つきと、高峰秀子の寂しそうな表情は記憶に残っている。
印象とはすごいものだ。
忘れっぽい脳のなかでも輝いている。

病雁(びょうがん)の夜寒(よさむ)に落ちて旅寝哉
松尾芭蕉

句の前書きに「堅田にて」とある。
堅田は大津の北部の地名。
琵琶湖の西岸にある。
歌川広重作「近江八景」の「堅田の落雁(らくがん)」で有名なところである。

芭蕉は、貞享二年三月上旬頃に大津を訪れ、「唐崎夜雨」として近江八景のひとつとなっている唐崎(辛崎)の地で「辛崎の松は花より朧にて」という句を詠んでいる。
このとき、堅田にある本願寺大津別院の俳僧三上千那(せんな)が入門。
その縁で、芭蕉はまた堅田を訪れたものと思われる。

「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」によれば、「病雁の・・・」の句は元禄三年九月中下旬の作。
芭蕉はこの年の四月六日、大津の北西にある国分山の幻住庵に入っている。
ここで、有名な「幻住庵記」を執筆。
七月二十三日に幻住庵を引き払い、大津に出ている。
その後九月末まで膳所(ぜぜ)にある木曾塚(義仲寺)・無名庵に滞在。
掲句は、木曾塚から堅田へ出、堅田滞在中の作であるという。

木曾塚から茶屋与次兵衛という人に宛てた書簡には、「拙者散々風引き候ひて、蜑(あま)の苫屋に旅寝を侘びて風流さまざまの事共に御座候。」とあって掲句が添えられている。
この書簡によれば、芭蕉は堅田から木曾塚へ戻る途中、風邪の症状が悪化し、途上の漁師小屋に一泊したものと思われる。

風邪でしんどい思いをしながら、夕暮れの「堅田の落雁」を眺めていたのであろう。
「落雁」とは、雁(ガン・カリ)が一列に連なって、ねぐらに舞い降りる様子を表わす言葉とのこと。
この句の「落ちて」も落下することではなく、雁が舞い降りるという意。

昔観た映画「雁」にも「落雁」のシーンはあったような。
モノクロームの映画だったせいか、暗い雰囲気の映画だったなあと記憶している。
掲句の「病雁」や「夜寒」や「落ちて」にも暗いムードが漂っている。
風邪の症状が芭蕉を暗い気分にさせているのか。
もともと雁は、悲壮なムードに包まれている鳥なのか。

芭蕉は、群れの数ある雁のなかには自分のように体調の悪い鳥もいることだろうなあと思いながらねぐらへ向かう雁を眺めていたのかもしれない。
私の思い入れが過ぎるかもしれないが、芭蕉は群れのなかに個を見ていたのではないだろうか。
病気の雁、気弱な雁、空腹の雁、年老いた雁・・・・・。
だが、雁はいくら体調が悪くても「夜寒」の空を飛んで、健気に巣に戻っていくように見える。
そんな上空の「落雁」を眺めながら、自分は地上の漁師小屋でゆっくり養生しているという句である。

「病雁」「夜寒」「落ちて」と暗いムードが続くなかで、「旅寝」だけがポッと明るい。
漁師小屋で旅人は、焚火にあたりながら「夜寒」の夜を暖かく過ごした。
そんな安堵感を読者に与えている句である。
「病雁」という夕暮れの不安な空と、ちいさな小屋のささやかな安堵感の取合せがこの句の旅情を深めていると私は思っている。

ところで、「芭蕉年譜大成」には「病雁」に「びょうがん」と読み仮名がついているが、
掲句の「病雁」を「やむかり」とする読み方もあるという。
「びょうがん」と「やむかり」ではイメージが違ってくる。
「びょうがん」は事務的で、冷淡な感じがする。
「びょうがん」では、私には雁の姿が見えてこない。

それに対して「やむかり」は感情を雁に寄り添わせたような印象がある。
一羽一羽の雁の顔が見えるようだと言えば大げさだろうか。
そのなかに体調の悪い「やむかり」の姿も見える。
私がそう感じているということは、私も「病雁」を「やむかり」と読んでいるということになる。

芭蕉は、十把一絡げの群れとしての雁を見ているのではない。
個が集まった群れとしての雁を見ているのだと思う。
そうであるから群れのなかの「病雁(やむかり)」と芭蕉自身とを重ね合わせることができるのだ。
そうであるから、小屋での「旅寝」という安堵感がポッと明るいのだ。

そういえば映画「雁」での高峰秀子さんの笑顔もポッと明るかったなぁ。

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