2017/11/21

雑水に琵琶聴く軒の霰哉

「琵琶」で真っ先に思い浮かぶのは平家物語。
平家物語といえば、琵琶法師である芳一が登場する「耳なし芳一」の話。
芳一が得意とするのは平家物語の「壇ノ浦の段」の弾き語りである。

子どもの頃、その怪談話の映画をテレビで見て震え上がったものだった。
以来、「琵琶」という楽器に対しては、どちらかというと暗いイメージを抱いていた。
子どもの頃のイメージが払拭されたのは、NHK-FM放送の「邦楽百番」で琵琶の豊かな音色を聴いたときだった。
今にして思えば至極当然。
映画「耳なし芳一」での琵琶による劇中演奏は、子どもが怯えるほどに怪談らしく脚色されたものだったのである。

雑水(ざふすい)に琵琶聴く軒の霰(あられ)
松井芭蕉

「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」巻末の「作年次未詳発句拾遺(没後刊行俳諧集所収)」のページに掲載されている句である。
いつ頃の作であるかは不明。

「雑水」を「ぞうみず」と読むと、「米をといだり、食器を洗ったりした水」と大辞林に書かれてある。
「芭蕉年譜大成」では、「雑水」に「ざふすい」と読み仮名を振っているから、「雑水」は「雑炊(ぞうすい)」のことなのだろう。

掲句は、いよいよ冬がやってきたなあという芭蕉の感慨を詠んだものであると私は感じている。
冬に向かう自身の心と、リズミカルに軒を打つアラレの音が響き合って、まるで「琵琶」の演奏のようであるなと、雑炊をすすりながら芭蕉が感じ入っている。

寒くなると台所仕事が億劫になる。
急激に冷え込んだ夕暮れは、何かあたたかい食べ物を手早く食べて体を温めたいという気持ちが強くなる。
体が冷えたままでは、寒い夜に満足に眠れない。
鍋に残り物やら野菜の切れ端やらを入れて煮込む。
温かい雑炊を食べて、貧しいながら幸せな気分。
体が温まって人心地ついたころ、軒板を弾くアラレの音。
無数のアラレの音が、震えるように反復する。
軒先から聞こえるトレモロが「琵琶」の楽曲のようだと芭蕉は思った。
芭蕉は雑炊をすすりながら、「琵琶」の音に聴き入った。

と、こう感じたのだが、「雑水に琵琶聴く」というところが、いまひとつ気になる。
「雑水」と「琵琶」の取り合わせが、なんとなく響いていない。
雑炊を食べたからって、アラレの音が「琵琶」に聞こえるはずがないとも思えるのだ。
  1. 前述の「耳なし芳一」の話にもどれば、壇ノ浦のある下関周辺はフグの名産地。フグといえばふぐ雑炊。江戸時代に、主に武士に対して食中毒防止のため「ふぐ食禁止令」が出ていたが庶民はお構いなしだったとか。
  2. 「耳なし芳一」は、小泉八雲が1904年に出版した「怪談」という怪奇物語集に収められている話であるが、江戸時代でも似たような怪談話が語り伝えられていたらしい。また、江戸時代には平家物語を語る琵琶法師が実在したという。
  3. 江戸深川での芭蕉の生活を経済的に支援したのは杉山杉風(さんぷう)である。三度にわたる芭蕉庵建築も杉風による出資のおかげ。尚、杉風は江戸幕府出入りの魚問屋主人。
上記のことをふまえると、私の脳の裏に以下のような情景が思い浮かんだ。
魚問屋主人である杉風が、壇ノ浦(下関)名物のフグを入手した。
フグは、「ふぐ食禁止令」が出ていたためにおおっぴらには売れない代物。
「テッポウ」とか「テツ」とかの暗号名で庶民の間に出回っていたらしい。

芭蕉には「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁(ふくとじる)」という句がある。
延宝五年の冬の作。
この句は、芭蕉がまだ桃青(とうせい)と名乗っていた三十四歳の頃のもの。
その当時より、芭蕉はふぐ料理を好んで食していたものと思われる。

江戸深川あたり、冬も近い。
師匠に温かいふぐ料理を御馳走しようと、杉風は芭蕉庵に仕入れたばかりのフグを持参した。
ふぐ料理に長けた料理人も同行したことだろう。
芭蕉と杉風は、ふぐ料理で一杯やりながら、フグの産地である壇ノ浦や平家物語の話で愉快に時を過ごした。
平家物語を語る琵琶法師の話題も出たに違いない。
「琵琶の弾き語りは、たいそう趣があって良いものですなあ。」とか。

料理の締めは、ふぐ雑炊。
「極上物だね、逸品だね。」
「ほんと、美味しいね。」
などと、芭蕉と杉風が言い合いながら雑炊をすする。

夜が深まるにつれて寒さがつのる。
すると、芭蕉庵の軒を打つアラレの音。
最初は微かだった音が、次第に大きくなって、部屋の中にアラレの音が響き渡った。
じっとその音に耳を傾けていた芭蕉が、「これは、琵琶の音色だね。」と言う。
杉風が、琵琶法師の声音を真似て「祇園精舎の鐘の声~諸行無常の響きあり~」と語りだす。

雑水に琵琶聴く軒の霰哉

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