社会 市議会議員選挙

 先週の日曜日に、この地方都市の市議会議員一般選挙の公示がありました。
 
 以来、掲示板に候補者のポスターが貼られ、候補者の宣伝カーが街を走り回り、選挙ムードが漂い始めています。

 私の仕事の事務所の郵便受けにも、候補者の写真入りのカードや、政策のようなものが書かれたチラシが、ほとんど毎日入るようになりました。

 選挙運動の宣伝カーは、候補者の氏名を連呼し続け、それに合わせて手を振る運動員の笑顔を運んで、行ったり来たり。

 相変わらずの選挙運動です。
 この方法というか、スタイルは、おそらく30年、40年ぐらい前と変わるところはないでしょう。
 改善されてきたのは、スピーカーの性能とクルマの性能と印刷技術と選挙事務所のIT化などなど、産業技術の進歩に依るものがほとんどです。

 選挙運動の方法が変わっていないのですから、たぶん政治の内容も変わってはいないのかも知れません。

 仕事や生活に関わる技術は年々変化を遂げていますが、政治で変わっているのは「政治家」の顔ぶれだけのような気がします。

 もちろん、政策の変化に伴う私たちの生活への影響は、確かにあります。
 その影響は、生活の改善的なものではありません。

 世間一般、困窮社会へと進んでいます。
 これを防ぐ政治の技術は無いようです。

 問題を解決する方法として、技術は発展し続けるものだと思いますが、政治においてはこれが無いのです。

 大学や研究機関では、政治論や政治学など、政治の技術的な側面を研究している人達がいらっしゃるのですが、これが現実の政治とは結びつかないようです。

 政治学に長けた人が政治の現場に表れないで、ひたすら学究の徒に徹しているかのようです。

 現場で活かせる政治の技術は、一般の仕事の技術よりもかなり遅れた地点で足踏みしているのでしょう。

 利害関係その他、人や団体や企業との関係が政治に影響しますから、政治の技術的なレベルは、市民や国民のレベル以上のものにはならないものかも知れません。

 今、行われている政治は、私たちの選択に因るものだからです。

 それは個人の選択ではなくて、私たちという、逃れようの無い集団による選択だからです。

 未発達で説得力の無い政治の技術は、過去の伝統と現在の大多数に追従するしか無いのかも知れません。

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