人間の習慣と犬の習慣

愛犬の習性に従うのが人間の習慣。

私は、毎朝、犬を散歩に連れていきます。
犬は現在で、4歳と半年になりました。

4年半の間、毎日、犬を散歩に連れて歩く訳ですから、それが私の習慣になっていると言えます。
当然、ワンちゃんも散歩が習慣になっているのですが、その習慣に対する意欲は、私とは違います。

犬は習慣に忠実な生き物ですから、毎日の活動に欠落が生じると、激しく怒ったり強く落胆したりします。

人間も習慣を守ることで、規則正しい生活を組立てている訳ですが、毎日の繰り返しが面倒くさくなることも少なくありません。

私は、たまには習慣に従わないことで安堵感を得たりします。
たとえば掃除を怠けて、その時間を自分の楽しい事に使ったりとか。

犬は、その楽しい事のひとつに属する散歩を面倒くさいとは思わないようです。

雨の日も、嵐の朝も、散歩を要求して、散歩の時間になると私のそばを離れません。
その活動にふりかかる厳しい自然現象を問題にはしていない様子です。

散歩の快感が、雨に濡れる不快感をはるかに上回っているのでしょう。
反対に私は、気分に左右されますから、雨に日の散歩は面倒くさいのです。

気分に従うことが多い人間が、それでも愛犬の習慣を大事にするのは、犬の喜ぶ姿に癒されるからだと思います。

鎖につながれていることが多いワンちゃんは、散歩で癒されているのでしょう。
ワンちゃんが癒されていることを感じて飼主も癒されているのです。

犬がある習慣に忠実なとき、その犬はどんな気分でいるのかを知ることが飼主の義務なのだと思います。

人間の習慣は、自身の身を守るためや生存のために自身で組立てたものです。
実は、犬の習慣も、そうなのではないでしょうか。

単なる自身の快楽や癒しのためだけに、犬が散歩しているようには見えません。
雨の日も風の日も、周辺の情報を収集している犬の必死な姿を見てそう思いました。

犬も、生きるために必死で散歩しているのかもしれません。
散歩の途上で一心に臭いを嗅ぎ回る様子は、生きるための真剣さを表しているように感じられます。

犬の散歩は、人間が習慣付けたものではないでしょう。
人間が愛犬の習性に従って習慣付けられているのです。

愛するものの習性に従うのが、人間の習慣なのでしょう。

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