銭湯とマイナスイオン
昨夕行った銭湯の脱衣場の壁に、この地方の公衆浴場組合(公衆浴場業生活衛生同業組合)のポスターが貼ってあった。
そのポスターに、銭湯はマイナスイオンの宝庫だから健康に良いというような意味のコピーを見つた。
「マイナスイオン」、懐かしい響きだ。
かつて話題になったマイナスイオンというコトバも、今はそう聞かれなくなった。
山の渓流とか滝の付近は大量のマイナスイオンが発生しているから健康に良い、とか。
雨の日は、雨水の水滴が破裂する際に発生するマイナスイオンが豊富だから健康に良いとか。
その頃は、大手家電メーカーもマイナスイオンを発生させる空気清浄機などを生産して売り出していた。
私は、「マイナスイオン」というコトバを聞いたとき、なんて学術的で説得力のあるコトバの響きなんだろうと思ったものだった。
私の趣味は山歩き。
滝や渓流のそばにいるとリラックスできて気分が良いことや、山歩きの疲れがとれるような経験をしたことがたくさんある。
その原因がマイナスイオンだったのかと、頷いたものだった。
でも、商品のパンフレットや、健康を謳う雑誌に「マイナスイオン」というコトバは溢れていたが、「マイナスイオン」という科学用語は存在しないらしいのだ。
「マイナスイオン」は、単なる宣伝的・情緒的な造語であるという説が現在では一般的なようだ。
「マイナスイオン」が自然科学の用語では無いのだから、自然界に「マイナスイオン」は存在しないということになっている。
従って、「マイナスイオン」の効能も存在しない。
一時は森林浴の効能を手助けするものとして宣伝された「マイナスイオン」が、フィトンチッドほどの科学的な根拠も無かったようだ。
個人の体験と「科学的な根拠」
銭湯は気分が良いから、適度な入浴は健康に良いということを人々は体験的に知っている。
「マイナスイオン説」はそれを理論付けようとしたのだろうが、根拠の無いものだったようだ。
個人個人の体験よりも一般的な科学知識の方が説得力を持ちやすいので、こういう「社会現象」が生じるのだろう。
山歩きの楽しさは、極めて個人的な趣味の世界なので、そういう趣味の世界で見つけたリラックス感とかリフレッシュ感を大切にしたい。
私にとって、滝や渓流の快適さの原因とは「マイナスイオン」的な雰囲気を持っている何かであると感じている。
「マイナスイオン」とは雰囲気を表す用語であって、実際の根拠を示すコトバではないのかもしれない。