小さな体験を書き残す

生きている事は小さな発見の連続であると、以前、ブログの記事で書いた事があります。
小さな発見もそうですが、生きている事が小さな体験の連続でもあることは、ごく当たり前の、敢えて言う事も無い事実だと思います。

刻々と定期的に過ぎていく時間のなかで、不定期な体験を刻々と積み重ねていくことが日々の暮らしだと言えるでしょう。

このようにキーボードを叩いて、文章のようなものをパソコンのモニターに映し出しているのも小さな体験です。
緩慢であり駿足である時間の流れが、この小さな体験を洗い流して消滅させようとします。

それが、このように文章のようなものとして記録されているから、私はこの小さな体験の輪郭を見ることができるのです。

過去に自身が書いた物を通して、改めてその時の暮らしを体験するという体験を多くの人々がしています。

友人に送ったメールとか、仕事の打ち合わせのメールの文章とかで鮮やかに再生する体験があります。

このとき初めて、その小さな体験を体験する実感を得るのです。
むしろ、現在の方が過去の時よりも鮮明に体験を自覚しているかもしれません。

体験を鮮やかに再生させるのは、過去の何気ない言葉です。

「おはよう」とか「お体大切に」とか「では、よろしくお願いします」とか。
その言葉が、過去の小さな体験を表し、記憶を蘇らせ、今になってその体験の意味を小学生のように復習させるのです。

「ありがとう」とか「あれからどうしていますか」とか、そういう言葉がその小さな体験の後を追います。
その時の言葉を追いかけます。
その時の面影を追いかけます。

追っていく先が、過去のような未来のような。
まるでその体験のために、時間が止まってしまったような映像を眺めているのです。

小さな体験は、映画のワンショットのような1枚のスチルです。

それを見る意味を、人々は自身に問いかけることでしょう。

日々の小さな体験は、過去や未来の問いかけの言葉で擦られているのです。
まぎれも無く体験した事が、新しい疑問の言葉で擦られているのです。

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