汗かきと多汗症の違いについて考える
私の知り合いに、恐ろしく汗かきの人がいて、彼は季節に関係無く汗をかいているようです。
本人は「多汗症」という病気だと思い、内科の診断を受けたところ、単なる汗かきと言われたそうです。
運動をして汗が出るのは当たり前だ、と言われたのです。
その汗の量が半端では無いと医師に言ったら、単なる個人差の問題だから気にするほどの事では無いと却下されました。
汗の量の多い少ないは、多汗症という病気とは関係無いということです。
人は他人よりも違いが多いと、病気かなと思いがちなところがあります。
そんなに気になるなら、精神科でカウンセリングを受けてみたらどうかね、とその内科の医師に言われたそうです。
そのとき彼は、
「俺は精神的に大丈夫だから、精神科へは行く必要がない。」
と心密かに思ったようです。
気になるほどの汗の量なら、多汗症かもしれないね。
でも、日常生活に支障が無いなら、多汗症じゃないかもしれないね。
と言うのが、知人の話を聞いた私の感想です。
「俺って、わきがもあるし、多汗症なんじゃない?」
医師に多汗症じゃ無いと診断されても、まだ疑っているのです。
まるで、単なる汗かきだと、ダサイとでも思っているようです。
汗かきの上に、「単なる」ではなく、公的なレッテルが欲しいような素振りに見えます。
「単なる存在」では不安なのでしょう。
説得力のある既存の何かに属して、他者からの承認を得ないと不安なのかもしれません。
「帰属性」という言葉が頭に浮かびました。
「単なる存在」であれば、永久に「単なる汗かき」というダサイ存在であり続けます。
「多汗症」という公的な存在に属していれば、「単なる汗かき」というダサイ存在から脱却でき、多汗症からも脱却できると思っているのかも知れません。
彼の話し振りから、そう察せられます。
これはこれで説得力があります。
要するに彼は「汗かき」という現状を変えたいのです。
ううむ、と私は唸ります。
多汗症素人の私には唸るしかありません。
「やっぱり、精神科のカウンセリング受けたらどうかね。」
これが私の、最良のアドバイスかなと思った次第です。
本人は「多汗症」という病気だと思い、内科の診断を受けたところ、単なる汗かきと言われたそうです。
運動をして汗が出るのは当たり前だ、と言われたのです。
その汗の量が半端では無いと医師に言ったら、単なる個人差の問題だから気にするほどの事では無いと却下されました。
汗の量の多い少ないは、多汗症という病気とは関係無いということです。
人は他人よりも違いが多いと、病気かなと思いがちなところがあります。
そんなに気になるなら、精神科でカウンセリングを受けてみたらどうかね、とその内科の医師に言われたそうです。
そのとき彼は、
「俺は精神的に大丈夫だから、精神科へは行く必要がない。」
と心密かに思ったようです。
気になるほどの汗の量なら、多汗症かもしれないね。
でも、日常生活に支障が無いなら、多汗症じゃないかもしれないね。
と言うのが、知人の話を聞いた私の感想です。
「俺って、わきがもあるし、多汗症なんじゃない?」
医師に多汗症じゃ無いと診断されても、まだ疑っているのです。
まるで、単なる汗かきだと、ダサイとでも思っているようです。
汗かきの上に、「単なる」ではなく、公的なレッテルが欲しいような素振りに見えます。
「単なる存在」では不安なのでしょう。
説得力のある既存の何かに属して、他者からの承認を得ないと不安なのかもしれません。
「帰属性」という言葉が頭に浮かびました。
「単なる存在」であれば、永久に「単なる汗かき」というダサイ存在であり続けます。
「多汗症」という公的な存在に属していれば、「単なる汗かき」というダサイ存在から脱却でき、多汗症からも脱却できると思っているのかも知れません。
彼の話し振りから、そう察せられます。
これはこれで説得力があります。
要するに彼は「汗かき」という現状を変えたいのです。
ううむ、と私は唸ります。
多汗症素人の私には唸るしかありません。
「やっぱり、精神科のカウンセリング受けたらどうかね。」
これが私の、最良のアドバイスかなと思った次第です。