山で探しているのは「山の楽しみ」と好奇心がこたえる。
【初冬の折紙山周辺。2005年11月、847ピークから撮影。】 |
明日から4月が始まる。
春の陽気も本格化するという時期なのに、今日の天気は雪。
暗く、肌寒い一日。
灯油を切らしたので、電気ストーブとフリースのジャケットで寒さをしのいでいる。
今年は山に雪が多く、春スキーも長く楽しめそうだが、あいかわらず景気が悪い。
景気が悪くて仕事が芳しく無く、おまけに天候の不順で体調を崩している人も多いようだ。
取引先の知人も胃ガンを患って、入院・手術。
先日退院したのだが、抗がん剤のせいで体調が最悪だと訴えていた。
彼は、仕事一筋の趣味無し人間。
仕事や生活の活力を生み出してくれる趣味を持たずに、身を削って働いて、57歳で胃ガンを患ったのだった。
体の免疫力を高めるために人生を楽しもうというスローガンを掲げても、現実はスローガン通りには進まない。
スローガン通りには進まなくても、なにか楽しみがあるなら、その楽しみから活力を得よう。
毎日の生活に何かを探して生きる事が、病気の予防になるかもしれないひとつの方法。
山を歩くという事も、何かを探し歩くという前向きな活動ではあるまいか。
何かを探し歩くことから生じる楽しみや苦難が、その人を活かしてくれる。
体を動かし、それなりに頭を働かせて、探し求める。
「何を探して歩いているのか」
山を歩く人に、そう問いかければ、多くの人は道を探しているのだと答えるのではないだろうか。
はたしてその道とは、山頂へと続くルートのことなのか、人生の道(方法)のことなのか。
そのどちらでも同じこと。
山頂へのルートは、たぶん、その人の人生の道なのだ。
そして、探し続けていれば、かならず「わかった!」とうなずく瞬間がある。
なにかがわかる。
それも、ひとつの達成感である。
小さな発見でも、喜びは大きい。
「それで、道はみつかりましたか?」
と訊ねられれば、「見つかったけれども、その先にまだ何かある」と好奇心がこたえる。
好奇心にさそわれて、また山へ行く。