継続は力なり
だが、この言葉は生活の中から、生活の方法として、なかば自然発生的に生まれた諺では無いようだ。
調べてみると、1人物の「詩」の言葉が、格言のように広く世の中に行き渡ったものらしい。
大正時代から昭和初期にかけて広島で活動した住岡夜晃(すみおかやこう)という宗教家の詩の言葉だと言われている。
その詩の題名は「讃嘆の詩」。
「念願は人格を決定す 継続は力なり」という一節の、後ろの部分がこの言葉。
「継続は力なり」はよく知られた言葉だが、住岡夜晃という人物はこの言葉ほどには知られていない。
言葉は物質的な側面を持っているから、「継続は力なり」は作者の思念から離れて、言葉自体が存在の光明を放つようになったのだろう。
この「格言」には以下のような解釈がされているようだ。
(1)ひとつの事をずっと続けることが、力となってその人に蓄えられる。
(2)小さな努力でも続けていけば、ひとつの大きな事業を達成できる力に育つ。
(3)物事を成し遂げるまで諦めずに努力を続ける力が、能力というものである。
「格言」は教育的な教訓を含んでいる。
国語のテストでは、上のような解釈は全て正解となるに違いない。
この詩を作った作者の意図は意図として、「継続は力なり」は、もう日本の「国民的格言」としての力を発揮するまでに育ってしまっている。
私が昔、この「格言」を知ったときは現実の厳しさを知った時だった。
たぶん、多くの人がそうであったように・・・。
「継続イコール力である、だから力の無いものは何事も続けられない。」
上記の「国語的解釈」とは、正反対の意味の存在を感じた。
そして、現実に、何事も続けることが出来なかった。
「継続は力なり」は、若くて能力のない意志薄弱者を嘲笑うかのように君臨したのだった。