雑談散歩

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後の祭りの桟敷席

祭りが終わってガランとした深夜の桟敷席

「後の祭り」とは、祭りが終わった後に祭り見物に行っても意味が無いので、もう手遅れであるという「例え」なのだそうだ。

上の写真は、7日の夜の「後の祭り」のねぶた見物の有料桟敷席。
国道沿いの歩道上に仮設されたものだ。

祭りが終わった深夜の桟敷席は、人が溢れていた祭りの最中よりも構築物としての存在感がある。
ねぶた祭り期間中、年々、桟敷席に空きが目立つようになったということだが、「青森ねぶた祭り」は観光客も減少気味であるらしい。

同時期に行われる、近隣の五所川原市の「立佞武多(たちねぶた)」の人気が急上昇中であるから、観光客が五所川原の方へ流れているのではという説がある。

「青森ねぶた祭り」では、祭りの主役を一方で担っている「ハネト(青森ねぶた祭りの踊り手)」も減少中である。
「ハネト」は地元の人々が圧倒的に多いので、「青森ねぶた祭り」は、観光客からも地元民からも不人気傾向が強まりつつあるようだ。

「若者の祭り離れ」ということがあるのだろうか。
いずれにしても、終わってしまえば後の祭り。

ところで、今日のお昼頃も、観光客らしい人たちが青森市内を歩きながら見物している様子だった。
「後の祭り」見物という祭りを楽しむ方法もあるのかも知れない。

そういう人々の感性は特別であるような気がする。
祭りが終わった後の街は、「祭り的には廃墟」だが、その「廃墟」から往事の賑わいの残像を感じ取って楽しんでいるのだ。

彼らは、残響や残像を感じ取る能力が一般人よりも優れているのだろう。
これほどノスタルジックな楽しみ方は無い。

そういう観光客の方が街角にちらほら見えた、ような気がする。
そういう観光客は、祭り主催者発表の「観光客数」の中には入らない。

「後の祭り観光客」は秘かに増加中かも知れない。

桟敷席の床板のコンパネが撤去され、構造材の単管(足場パイプ)がむき出しになった「祭りの廃墟」。
こちらも単管がむき出しになった「祭りの廃墟」。「立ち入り禁止」の札がノスタルジック。
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