雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

公園の夜の幻想を照らす外灯

公園の丘の向こうで外灯がまだ灯っている。
朝の8時頃に、犬の散歩に公園に行ったら、まだ外灯が灯っていた。

曇りの朝の薄明かりのなかで外灯の存在感が際立っている。
葉を落として、すっかり丸裸になった公園樹の命の灯火のような在り様。

冬の朝に外灯が灯っていると、あたりが、より一層幻想的になる。
だから、冬の朝の外灯の写真はよく見かける。

いろいろな写真の、いろいろな場所で、外灯はいろいろな幻想風景を演出している。
それらの外灯はみな、広々とした場所に立っている。

この公園はそんなに広く無いので、すぐに幻想風景から醒めてしまう。
朝の街の音が、しだいに大きくなってくるからだ。
夢から覚めれば寒々とした冬景色。

外灯はポツンと、遅刻した小学生のように頼りない。
雪を被って雪の中に立っている公園樹が、裸の枝を広げて笑っているように見える。
丸裸の木の静かな笑いと外灯の淡い灯火。

外灯が消えても、小さな幻想風景は、まだ消えずに残っていて、小さなもの思いのように瞬いている。
静かな雑談のように、ひらひらと雪国の日常に入り込む雪片の幻想。
それは、雪国の生活の同居人。

公園の外灯は、雪景色の幻想の一部を照らしているに過ぎない。
そこだけがクローズアップされ、私たちの感情が、その光景にのり移ったように見える。

薄明かりの広がりに伴って、幻想風景が広がっていく。
広がりながら消えていく。

もの思いの拡散。
静寂がやぶられ、木々の枝先の静かな語らいが押し黙る。
その言葉を聞き逃すまいと耳を澄ます。

雪片の幻想は、言葉のように寄り集まって、謎のような文章を綴っている。

上の写真の部分拡大。
雪を被った公園樹。
Next Post Previous Post

広告