陸奥国津軽郡之絵図とよさこい演舞
新町通りで行われた「よさこい」の演舞。 |
今年の連休期間、青森地方はパッとしない天候が続いている。
行楽気分を盛り上げる「五月晴れ」も無かった。
天候は芳しくないし、連休期間でも仕事が混んでいるので、山へ行く気分にはならない。
仕事の合間に、青森市内本町の「郷土館」へ展示物の見物に出かけた。
ついでに、新町通りを中心に行われていた「AOMORI春フェスティバル」もちょっと覗いてみた。
「青森県立郷土館」ではこの期間限定で、1階の特別展示室にて「青森県立郷土館所蔵絵図セレクト展」が催されている。
郷土館見物の最大の目的は、このセレクト展で公開されている青森県重宝(歴史資料指定)の「陸奥国津軽郡之絵図(むつのくにつがるぐんのえず)」を見ること。
ついでに、新町通りを中心に行われていた「AOMORI春フェスティバル」もちょっと覗いてみた。
「青森県立郷土館」ではこの期間限定で、1階の特別展示室にて「青森県立郷土館所蔵絵図セレクト展」が催されている。
郷土館見物の最大の目的は、このセレクト展で公開されている青森県重宝(歴史資料指定)の「陸奥国津軽郡之絵図(むつのくにつがるぐんのえず)」を見ること。
特別展示室での写真撮影は禁止(常設展示室は許可を得れば写真撮影可)なので、この興味深い「古絵図」を画像に残すことはできなかった。
「郷土館」で所蔵している「陸奥国津軽郡之絵図(むつのくにつがるぐんのえず)」は「正保国絵図」というものの副本の忠実な写しであるらしい。
絵図の裏書きから、1685年の作成であるとされている。
この絵図には、津軽半島の先にアイヌ集落2カ所、夏泊半島の先にアイヌ集落3カ所の記載がある。
この地方の先住民が、海を背にした半島の先っぽに追いやられた様子が、伺い知れる資料だ。
当時の津軽地方の地名が、現在のものと同一のものが多いのも興味深い。
もし、アイヌ人が記録を残す民族であったなら、この地方のもっと面白い絵図が見れたかも知れない。
アイヌ人が名付けた地名が、後からやってきた「和人」の地名に、いかに変わっていったのか興味深いところだ。
ところで、この「陸奥国津軽郡之絵図(むつのくにつがるぐんのえず)」は「県重宝」ということだが、「県重宝」って青森県民の重要な宝物ってことなのかな?
県民の重要な宝物なのに、これを知らない県民は多い。
インターネットの発達した現在なのだから、この「陸奥国津軽郡之絵図(むつのくにつがるぐんのえず)」を細部まで見物できる画像にして、ネット上で公開したらどうか、なんて発想は当局にはないのだろうか。
絵図の一般公開に、これほど適した方法はないように思われるが・・・。
絵図の一般公開に、これほど適した方法はないように思われるが・・・。
「陸奥国津軽郡之絵図(むつのくにつがるぐんのえず)」が一般の庶民に慣れ親しんでしまったら、「重要な宝物」の値打ちが下がるという発想の方が強いんだかもしれない。
藩主様の時代も今も、お上が考える「重要な宝物」って、そういうものなのだろう。
「AOMORI春フェスティバル」は今年で8回目を迎えるらしい。
その目玉イベントは「よさこい」の演舞であるようだ。
土佐の高知の「よさこい祭り」が北海道の「ソーラン節」と融合?して出来たのが「YOSAKOIソーラン」だとか。
それが全国に広がって「よさこい」として定着したらしい。
その「よさこい」を最大の動員力にして「AOMORI春フェスティバル」が開催されている。
パワーの源は南国の「よさこい祭り」なのだろうが、北方系の味付けが今一で、私には「AOMORI春フェスティバル」の「よさこい」は馴染めなかった。
でも、「AOMORI春フェスティバル」の、新町通りやその他の開催エリアは盛況だったようだ。