予測や予感のストーリー

雨の予感。
予測や予感の元となっているのは経験や体験であると思う。

まれに、特殊な個人の霊的な能力が未来に対して予知を示すこともある。

その確証については明確ではない。

その確証がはっきりしているなら、様々な難問題の多くは未然に解決できたはずである。

将来に対して予測をたてる理性は、経験や実体験によって育まれていくと思われる。

人生経験の豊かな年配者の予測に若い者が耳を傾ける、ということは多い。

ときには、経験の豊かさに溺れて、年配者の判断が狂うことも考えられる。

「策士、策に溺れる」とか。

まだ純粋な感性に恵まれている少年少女の直感が、まぐれで当たることもある。


予測や予感が的中しなくても、そのストーリーが面白いものであれば、面白いという事実が残る。

専門的な知識に裏付けられた予測や、筋の通った説得力のある予感は、そのこと自体に価値が生まれる。

経験談や実体験談が真実味を加える。

話題を身近なものにする。

多くの人々の話題にのぼる予測。

そこから発生する利害を考えれば、その話題の元となっている情報には「価値」があると言える。

たとえ虚偽の情報であっても、多くの人々の関心を集めるだけの「力」を持っているのだ。

その「力」とは、予測や予感のストーリーの面白さかも知れない。

面白いストーリーというものは、様々な読み方(楽しみ方)を生じさせる。

読者は、その情報に対して独自の判断を下す。

身に切迫した情報であれば、早急な判断を下さざるを得ない。

多くの人々は、専門家や経験豊かな「長老」的な人物にその判断を委ねる。

自己の判断に責任を持ち得る者は、自己の判断を優先する。

そういう情報の「運動」のようなものが価値を生み出す。

近い将来の大地震の予測が報道されると、防災用具が売れる。

災害予防施設建設への設備投資熱が高まる。

予測という「情報」に対して、「予防」という価値が生まれる。

予測や予感のストーリーは、未知の価値を生み出す可能性である。


未来に対してどのような予測や予感があったか。

それに対して、人々はいかに行動したか。

その結果どういう価値が生まれたのか。

歴史とは不確かな事実ではなく、そういう架空(予測や予感)の事実に裏付けられた明確なストーリーかも知れない。


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