誰だ、おまえは?
ひょろ長い路地は、昔からの通りで、照明が少なくて暗い。
照明があっても点灯していない。
そんな古ぼけた通りでの出来事だった。
私は少し酔っていたが、後をつけられていることには気がついていた。
私がゆっくり歩くと、後の者もゆっくりの歩みになる。
私が立ち止まると、背後も止まる。
早足に歩くと、後から早足の靴音が聞こえる。
近づくでもなく、離れるでもない。
一定の間隔で、私の後をついてくるのだ。
その距離は10メートルぐらいだろうか。
私はちょっと大胆な気分になった。
もともとは小心なのだが、やはり酔っていたのだろう。
ハードボイルドな気分になってきたのだ。
私は、後を振り返って怒鳴った。
「おまえは誰だ!なんのために俺の後をつけているんだ!」
尾行者は、暗がりの中でじっとしている。
「おまえは誰だ?」
私は声を荒げて叫んだ。
「あんたの影さ」
暗がりの中から男の声がした。
なんだ、お決まりのセリフじゃないか。
男のセリフで、話の筋が見えてきた。
「分身譚」とでも呼ぶべき「話型」らしい。
そんな民話みたいな筋書きはお見通しだ。
私は、相手の鼻を明かしてやろうと続けた。
「おかしなことを言うな、光も無い、こんな暗闇のなかで影なんか出来るわけがないだろう!」
すると相手は、落ち着いた様子で応えた。
「影とは、そういう一面もあるのさ。光と関係の無い影もあるのさ」
男は、あきらかに私をあざ笑っている。
暗くて男の顔は見えないが、生意気そうな表情が目に見えるようだ。
「屁理屈、こきやがれ!」
私は足下に転がっていた石ころを拾い上げて、暗がりの相手に放り投げた。
「痛え!」という悲鳴と同時に、私の背中に小石のようなものがぶつかった。
振り返って前方を見ると、男が私に向かって怒鳴っている。
「おまえは誰だ!なんのために俺の後をつけているんだ!」
ああ、やっぱりお決まりの話じゃないか。
私は今「分身譚」の中にいる。
そう思って、前方の男がもう一度言うであろう「お前は誰だ?」というセリフを待った。
ちょっとここで位置関係を確認しておこう。
私の進行方向の先には、「前方の男」がいる。
私の後方には、私の影だと名乗る「尾行者」がいる。
どうやら両者とも、その中間に立っている私の分身であるらしい。
「分身譚」だとそういうことになる。
そこで私は、前述したように、前方の私の「お前は何者だ!」というお決まりのセリフを待っていた。
ところがその男は、それ以上口を開かず、スタスタと先へ歩いていく。
その背中に向かって私は、「俺はあんたの影さ」と叫んだが、応答しない。
そこで、私はその男に向かって小石を投げてみた。
小さな石だったが、その石は弧を描いて男の頭に命中。
「なにすんだよう、このヤロウ!」
怒った男が私の方へ駆けてくる。
一瞬で酔が醒めた。
これはヤバイ。
私は逃げた。
私の目の前を、私の影だと名乗る「尾行者」も逃げている。
「前方の男」はものすごい勢いで追ってくる。
すると、どうしたことか。
その男は、息が切れかかった私を追い抜いて、私の影だと名乗る「尾行者」の背に迫った。
私は立ち止まって、ハァハァ言いながら、前方の影の追いかけっ子を眺めた。
そのまま影たちは、路地の奥へ消えた。
また路地は、しんと静まり返った。
喧騒の影達が去ったあとの静寂である。
その静寂のなかで、私は動けないでいる。
前を見たり後ろを見たり、あたりをウロウロするばかり。
行き先を失ったのだ。
私はどこへ行こうとしていたのだろう。
闇の世界に取り残されたような気分になった。
行き先を失った今、話の筋書きも失ってしまった。
これは「分身譚」のようで「分身譚」ではない。
古ぼけたひょろ長い路地の「話型」。
言うなれば「路地譚」。
そんなことを考えていると。
「誰だ、おまえは?」
見知らぬ男から問いかけられている自分がいた。