雑談散歩

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高山小公園(チェスボロー号記念公園)

展望台
公園駐車場から公園を見る。コンクリート製の展望台の壁面に、チェスボロー号らしき船影が施されている。

高山稲荷神社の入口に赤い大鳥居が建っている。
その大鳥居に向かって左手に、舗装された坂道が小高い丘の方へ延びている。
坂道を登ると、すぐに、高山小公園(チェスボロー号記念公園)の駐車場に着く。

きちんと整備された、小さな公園には、公衆トイレや展望台、チェスボロー号遭難慰霊碑、東屋などが設けられている。
駐車場から一段高い公園に向かうレンガ色の階段の左手に、「チェスボロー号遭難慰霊碑」についての説明の看板が立っていた。
看板には次のように書かれている。
「この慰霊碑は、明治22年10月、交易で来航中の米船チェスボロー号が、折からの暴風に遭難し、西浜中ノ森沖の浅瀬に座礁大破、乗員23名中19名が波に呑まれ、4名が救助されたが、この時、怒濤逆巻く中、数人の漁師たちが生命を賭して救助にあたった。 特に、その中にいた工藤はんは、瀕死の米人を自分の肌で温め、蘇生させたという美談を讃えるとともに、あえなく異国の海に消えた19名の霊を慰めるための碑である。(原文ママ) 

案内看板
チェスボロー号遭難記念碑の案内看板。


この旧車力村(しゃりきむら)の村民による救助活動の後、村一番の健脚2名が青森県庁までの64キロの道程を9時間かけて走った。
「遭難事件」を県庁のお役人に伝えるためである。
その結果、生存乗組員4名は、無事に帰国することができたという。
公園の慰霊碑の左手にあるレリーフの人物は、その健脚の村人2名である。

地元では、遭難救助100年を記念して、平成2年から「チェスボローカップ水泳駅伝大会」が開催されている。
大会キャッチフレーズは「勇気と愛は海を越える」。
大会会場は、つがる市富萢町のマグアビーチ。

「敵意と憎悪が海を越えた」こともあったから、この美談は人間の理想として語り継がれているのかも知れない。
これは、余談だが・・・・。

尚、チェスボロー号が米国メイン州バス市在の貨物船であったため、旧車力村とバス市は平成5年に姉妹都市提携を実現している。


チェスボロー号遭難慰霊碑
チェスボロー号遭難記念碑の十字架。

村民レリーフ
当時の村人を描いたレリーフ。

説明銘板
村人レリーフの下の銘板。

公園内
展望台から慰霊碑を眺める。

日本海方面
展望台から小泊・権現崎方面を眺める。
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