「有りの実」は梨
豊水という梨。 |
「着の身着のまま」という言葉がある。
「着の身着のまま」は、そういう慌てふためいた状況を表現している言葉だが、比喩ではない。
文字通り「着の身着のまま」の着衣の様子を言っているのだ。
よく「着たきりスズメ」と意味を混同して使う人もいるようだ。
「着たきりスズメ」は、「舌切り雀」の語呂合わせで、半ば比喩的な言い回しである。
「着たきりスズメ」同様、「着の身着のまま」を文字って、「木の実木のまま」としゃれている人もいるらしい。
「木の実木のまま」に特別深い意味は無い。
「採れたての木の実」ぐらいのイメージだろうか。
その木の実に梨がある。
「梨」は「なし」と読み「無し」を連想させるから縁起が悪い。
そこで、「梨」を「有りの実」と呼んで、イメージをマイナス志向からプラス志向に向ける。
「無し」よりは「有り」の方が、元気があって明るくて前向きで良いということ。
こういう言葉の使い方を「忌み詞(いみことば)」と言うらしい。
「すり鉢」の「すり」は、「擦る(する)」というお金などを使い果たす意味に通じるから、「すり鉢」を「あたり鉢」と言ったり。
植物の「葦(あし)」は良し悪しの「悪し」につながるから、「葦(あし)」を「ヨシ(良し)」と言い換えたり。
探せば、いろいろ出てきそうだ。
「梨」を「有りの実」と言い換える類いの方法は、悪いイメージを良いイメージに転換させようとする知恵。
逆転の発想とも言えるのでは。
根底には、「物は言いよう」という「言葉信仰」のようなものがあるのかも知れない。
言葉は口に出すと実現してしまう、という畏れ。
「塩(しお)」の「し」は「死」につながるから、「塩」を「波の花」と華やかに言い換えたり。
物事は言い方ひとつで良いようになる。
「着の身着のまま」では大変な状況だが。
「木の実木のまま」は、なんとなくシャレていて奇麗な感じ。
「梨」が「有りの実」とくれば有り難い。