アケボノスギ(メタセコイア)の冬芽と落葉と新しい言葉
アケボノスギ(メタセコイア)の冬芽。 |
羽状に対生している葉の側枝の根元に、可愛らしい冬芽。
冬を前に散り滅びていくものと、果敢に冬を乗り越えていくものが混在している。
まるで、人の気持ちのようだ。
潔く何かを捨てながら、生きる力を蓄える。
捨てることは失うことではない。
捨てたものが肥やしになって、より大きな木に育つ。
捨てることは、見切りをつけるとか見限るとか、そういうことではない。
「踏ん切りをつける」というイメージに近い。
踏ん切りをつけるとは、ある状態にはっきりと決めること。
思い切って、決断する様を言い表している。
何が、アケボノスギの葉を捨てるという決断に至ったのか。
それは、もっと大きくなりたいという、生命の挑戦か。
古い慣習を捨てるということは、古い言葉を土に還すことかも知れない。
つきあいとか、現実にそぐわないしがらみの言葉を枯葉の上に乗せて土に還す。
もっと現実を切り開く言葉になって上がってこいよ。
新しい生命の冬芽が、そう見守っている。
古代より、延々と生命をつないできた生き物だもの、メタセコイアは、いつも新しい言葉を吸い上げて生きているのさ。
冬芽は、夏から秋にかけて出始める。
街の片隅で暮らしている、その人の「挑戦」も、そのころ頭をもたげたのかもしれない。
その人は、メタセコイアのように平凡で、平然としていて、新しい言葉の発見に努力している。
こんな風に景色を見ていると、ものとものとの新しい関係が、ぼんやりと見えてくる。
冬芽の発生と落葉の合間に生じる関係。
ある種の挑戦は、関係を更新して、 新しい関係をつくる。
漠然とした落葉の堆積のなかから、新しい言葉が空を見上げているようだ。
アケボノスギの冬芽と、落葉と、新しい言葉の関係を眺めている。
アケボノスギの黄葉。 |
側枝ごと落下するアケボノスギの落葉。 |