小路の奥の紅葉と青空
小路の突き当たりに黄葉。 |
今年も、写真の小路から眺める紅葉(黄葉)がすばらしい。
山の「紅葉の名所」の紅葉も見事だが、住宅街の小さな公園の紅葉も光り輝いていて美しい。
生活の場に身近な紅葉は、どこか郷愁を誘うところがある。
それは、子どもの頃、家の周りで見た紅葉と共通する雰囲気を持っているからだろう。
子どもの頃に感じた感動を思い出すことが、その時代への「郷愁」となるのかも知れない。
子どもの頃に見た、似たような風景を眺めて、 高齢になった自分が、子どもの頃に感じた気持ちを繰り返して考え、その繰り返しの中で、古くて新しい自分を見つける。
あの頃と同様に、空の下で生きていると実感する。
家々の屋根が続いて、道が続いて、その続き具合は過去からの時間の流れのようである。
そういう流れが、日本中の村や街に流れているのだ。
だから、こんな光景は、日本中いたるところに在ることだろう。
日本中のいたるところに小路があって、その奥で紅葉が輝いている。
その紅葉を眺めながら感傷にひたるご同輩も多いかもしれない。
時と場所を越えたところで、似たような郷愁が湧いて出る。
追憶とか懐古とかに幻想のようなものがまとわりついて、民話やおとぎ話やメルヘンが生まれるのでは、などという想いにかられる。
民話やおとぎ話やメルヘンには共通の要素が多いので、ひとつの元ネタが、各地方へと伝来して、各地に似たような物語があるのだと言われているが。
日本全国各地で似たような想いが、同時に多発するということもあるとすれば、物語もそのように生まれることがあるかもしれない。
小路の奥の紅葉と青空を眺めながら、物語の起源みたいなものについて空想していると、今現在のこの場所も物語の起源となり得るのでは、などという物思いがエスカレートしそうになる。