山で感じる「生活感」とは、山を歩くことで身につけた「死生観」のようなもの
森の紅葉。 |
ご覧の通り、特別な景色は何も無い。
山岳地帯なら、どこにでも有りそうな渓谷の風景。
こんな景色は無数にあることだろう。
唯一無二の絶景では無い。
そこがいい。
秋の渓谷をハイキング。
こんな、ありきたりな景色を眺めているハイカーは無数にいるかもしれない。
いろいろな場所で、似たような風景を過去に何度か眺めたことがある。
それが郷愁を誘う。
唯一無二の絶景では、ただただ驚くばかりだ。
平凡な風景には、平凡な感動が湧く。
植物学者や地質学者は、それぞれの風景は固有のもので唯一無二のものであると言うだろう。
特有の生態環境、特有の土質や岩質で構成された風景は、似ているようでも微妙に違うのかも知れない。
だが、目の前の風景は風景として、日々の暮らしの延長であり、その風景の先には平凡な人間の平凡な人生観がある。
そして、その景色は、どこか自分と似ている。
自分の人生観が、溶け込んでいるような風景。
そう感じているハイカーが無数にいることだろう。
無数の中の一人が、ここにいる。
そう思うと、この場所になじんでくる。
結局は「生活感」のある場所が落ち着くのだ。
いろいろな場所に共通する「生活感」がある。
山の中で感じる「生活感」は、日常とは別のものだ。
言葉にはできない「死生観」のようなものかも知れない。
言葉にはできないが、山を歩いていることで、その思いを行動に移していると言えるだろう。
「死生観」とは、生死に対する考え方であり、それに基づいた人生観のこと。
山を歩くことで、自身の日常から、ちょっと離れる。
離れた場所で、自身の日常について思いをめぐらしてみる。
すると、山で感じる「生活感」が、山を歩くことで身につけた「死生観」のようなものではないかと思えてくる。
渓谷の河原。 |
渓谷の紅葉。 |
静かな瀞場。 |
深い渓谷へ流れ落ちる小沢。 |