雑談散歩

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公園の松の枝を折って犬の糞にまみれた男の大晦日

帰り道の公園で、「バキッ!」と音がしたので振り返ると、大きな松の木の下に男がいた。

手には、葉っぱがフサフサの松の枝を持っている。

大晦日の夕暮れである。

男は、自分の家に松の枝を飾って新年を迎えようというのだろう。

市が管理している公園の松は、手入れが行き届いているので、寒い雪の中でも緑が鮮やかだ。

男はヒツジほどの大きな犬を連れている。

夕方の犬の散歩のついでに、手頃な松の枝を失敬したようだ。

どこかで青竹を手に入れれば、門松がつくれるかも知れない。

そんなことを思ってか思わないでか、男は私を追い抜いて、急いで公園から出た。

そのままヒツジ犬とともに細い街路を進む。

行く手には、もうひとつ公園があって、赤い実をたくさんつけたナナカマドが植えられている。

あれも、やるつもりだな。

帰る方角が同じなので、なんとなく後について歩いていると、男はその小公園の中へ。

また、「バキッ!」という音。

夕闇の中で、男の手元に、赤い色彩がぼんやりと見える。

赤い色をチラチラさせながら、男は路上にもどった。

明日の元旦は、公園で折った松の枝とナナカマドの枝で正月を祝うつもりらしい。

(1)正月を祝って、良い年を迎えたい。

(2)正月を祝うのは良いことだ。

(3)良いことのためには、少々の小悪亊は許される。

(4)何せ、正月だからね。

自身が良くなるためには、少々周囲を傷つけてもかまわない。

自分さえ良ければ、全て良しという自分本位。

独善的。

身勝手。

自己中心的。

なんたる我侭。

その我侭男のヒツジ犬が、背を丸めて座り込み、糞をたれ始めた。

私の行く手の路上には 、みるみる糞の山。

大きい犬だけに、糞も大きい。

ヒツジ犬の飼い主は、知らん振りして立ち去ろうとしている。

「おい、犬の糞を置いて行くつもりか!」

ついに私は大声を出した。

男は振り返って「なに!」と吠えた。

「小僧、どこの家のガキだ。貧乏人のガキがワシに文句をつけるんじゃない!」

たしかに裕福な身なり。

まるで、どこかの部長様。

それに対して私は、大晦日だというのに作業服姿。

「どうせどっかの職工だろう。職工風情がワシに意見するとは何事か!」

するとヒツジ犬が「ワン!」と大きく吠えて、急に走り出した。

おおかた、雌犬の臭いでも嗅いだのだろう。

手に松とナナカマドの枝を持っている男は、犬の急な行動をおさえきれない。

まして、後向きだったから、尚のこと。

突然、大型犬に引っ張られたものだから、バランスを崩して尻餅をついた。

いや、正確に言うと「尻糞」をついた。

男の後姿は糞まみれとなった。

あたりに犬の糞の臭気がたちこめる。


松は昔から、神様が天から降りてこられる木として考えられてきた。

そのため、お正月の松飾りとして重宝されている。

松はマツ科の常緑高木。

葉は針状。

花は単性で、雌雄同株。

球果はいわゆる「まつかさ」。

かの万葉集には、「松」を「待つ」に掛けた歌が数多くあるという。

誰もがこういう場面を待っていた。

私が呼び止めたから、部長様が転んだ訳ではない。

公園の立派な松の枝を折ったときに、すでに、こうなる顛末は決まっていたのだ。

これは松の祟り。

男は、公園の松の枝を折って、犬の糞にまみれた大晦日を過ごした。

もはや、良い正月に逆転できる術は無い。

逆に転んでも、そこにもヒツジ犬の大きな糞の山が、もうひとつ。

こうして男は、正月七日まで惑うことになる。

ナノカマドウ・・・・ナナカマド・・・・・。

これは枝を折られたナナカマドの祟り。


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