津軽地方の農耕馬のイラストを添えた年賀状

年賀状デザイン
2014年賀状。


今年は午年だということで、年賀状に馬のイラストを添えた。
上の年賀状の画像の馬は、馬といっても農耕馬である。
私が育った津軽半島の寒村では、私の記憶が正しければ、昭和34〜37年頃まで農耕馬を用いての農作業を行っていた。
まだ道路の除雪が行われていなかった頃は、積雪期の移動手段として馬橇を使用していた。

私も、子どもの頃、幌がけの乗り合い馬橇に乗った記憶がある。
その当時、津軽地方の農村では、馬は、よく見かける大型動物であり、農家の家族の一員だった。
小学生の頃の、村の道路には、いつも馬の糞が落ちていた。

紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞   与謝蕪村

蕪村のこの句にであったとき、馬の糞を妙に生々しく感じたのは、そのせいではあるまいか。
津軽半島の農地一帯が、まだ一面の湿地だった遠い昔、農耕馬は、その不毛の地を豊かな田園地帯に変えるのに、大きな力を発揮したようだ。
昭和30年代の中頃から、津軽地方に耕運機などの農業用機械が普及しだし、村から馬の姿が急速に消えていったのだった。

毎年8月の末頃に、つがる市の旧木造町を中心に行われている「馬市まつり」は、かつての農耕馬の売買取引(馬の競り市)の名残。
現代の「馬市まつり」は 、津軽の新田開発に尽くした馬の霊を慰め、ふるさとの五穀豊穣を祈念するお祭りとなっている。

祭りでは、「馬ねぷた」のパレードもあり、五所川原市の立佞武多(たちねぷた)同様、つがる市の代表的なお祭りとして定着している。
「馬市まつり」の最後の「新田火まつり」では、「馬ねぷた」に火が放たれ、花火が上がり、津軽の晩夏の夜空は、赤く焦げる。

かつて、新田開発で田を起こすのに活躍した馬は、今では地域おこしに一役買っているのだ。
この農耕馬の年賀状に、そんな思いをこめてみたのだが・・・。

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