雑談散歩

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公園のゴミ箱と「ブログという箱」

ゴミ箱
公園のゴミ箱。
現在では、都市公園にゴミ箱を設置しない自治体が増えているらしい。

もともとは公園の美化目的で、各公園にゴミ箱が設置されたようだ。

それが、以下の理由で、ゴミ箱を設置しないことになった。

(1)家庭の生ゴミや紙おむつを、公園のゴミ箱に捨てる「不届き者」の出現。

(2)カラスによってゴミ箱の中が荒らされ、ゴミが一帯に散乱するようになった。

(3)犬の糞が公園のゴミ箱に捨てられて悪臭がひどい。

など、など。

美化目的で設置されたゴミ箱の存在が、公園を汚す結果を導いてしまったのだ。

ゴミ箱は、公園外からもゴミを吸い寄せる。

ゴミ箱という公認の容器が、マナー違反のゴミ捨てを誘惑してしまうから、公園からゴミ箱を撤去することになったらしい。

その結果、皮肉にも公園の中が幾分きれいになった。


個人の家庭では、ゴミ箱は、家の中の整理整頓に欠かせない道具。

ゴミ箱が家庭内のゴミを吸い寄せて、家の中を明るくきれいにする。

家の中を管理するのは、その家に住む個人の仕事だ。




様々な視点                               

家庭のように、公園にもゴミ箱を置けば公園の美化が実現できるという視点。

公園での個人の行動を管理するのは、自身の責任であるという視点。

公園にゴミ箱は不要だという視点。

公共の公園を管理するのは、自治体の行政の仕事で、公園を利用する個人個人の仕事ではないという視点。

公園内のゴミの処分という行政サービスに、ルールを無視しても便乗したほうが得だという視点。

ゴミ箱とは、あらゆるゴミの投入を許されている容器だという視点。

カラスの視点。

犬の視点。

野良猫の視点。

さまざまな角度からゴミ箱を見つめている眼や思いがある。


これは、ゴミ箱という存在の面白さかもしれない。

ゴミ箱を置くと周囲がきれいになるという事実と、ゴミ箱を置くと周囲が汚くなるという事実が同時に存在する。

そして、その事実を見つめるさまざまな視点がある。

物事を見る人の思いの立脚点は、人様々である。

安易にゴミ箱を設けると、捨てなくてもいい物まで捨ててしまうのではという視点もあることだろう。


ブログという箱                             

仮に、公園に「ブログという箱」を置いたら、多様多彩な視点が投入されて面白いに違いない。

様々な視点で書かれたブログが「ブログという箱」の中に集積する。

一見ゴミのような日常の断片。

それがつながって日常の全体像を浮き彫りにしたり、日常の断片を公園に散乱させたり。

「ブログという箱」の存在に気が付くのは、ゴミのように空想の断片を持ち歩いている者。

彼らはその処理に困っている。

もしかしたら、捨てないで役立てたいのかもしれない。

ゴミ箱は現実の世界にあるのだが、「ブログという箱」は想像の世界に置かれている。
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