2014/03/30

怪談は共感を得やすいから、面白い話が簡単にできてしまう

私たちは、恐怖を内に秘めたいろいろな不安を抱えている。
不安とは、自身の存在を脅かすような破局や事故や危険に対する漠然とした予感。
死や闇夜に対する不安。
天変地異や政治情勢に対する不安。
その不安や恐怖感が高じると、周囲のものと不安を共有することで、不安な心をやわらげようという気持ちが働く。
大勢による共感の賑わいのなかで、ストレスを解消してしまおうという作戦。
ごく自然にそうなることは、多くの人が経験上理解できることだ。
他人との共感を得ることで、不安のせいで生じた孤立感から救われる。
恐怖感のせいで失いかけた希望を取り戻すことができる。

他人との共感は心の平安をもたらすから、心の平安を得るために恐怖劇を創造することも自然な気持ちの働きのように思える。
恐怖譚の発生理由のひとつは、他人との共感を望む心の働きではないだろうか。
その恐怖譚が、物語として面白ければ面白いほど、共感の度合いも高まる。
それを共有することで、現実的な不安から、少しずつ解放されていく。
ストレス発散とかリフレッシュとかいう心の状態が得られるのだ。

体験を題材にしたミニ恐怖譚は、多くの人々にとって、割と簡単に作ることができるもののひとつだろう。
「おーぷん2ちゃんねる」というサイトに「オカルト超常現象」という掲示板を見つけた。
そのなかに、「日常以上オカルト未満」という「板」があった。
「日常以上オカルト未満」の「板主」が立てたスレッドを以下に抜粋。

女子高生だった頃、学校の行事で八ヶ岳に登山に行ったんだが、
森林限界を越えた場所まで登ったせいか、下り道、疲労困憊だわ、靴擦れは酷いわでボロボロになった。
半ば投げやりになりながら下山していると、木の間に作業服を着た若い男がニヤニヤ笑っていた…
と思ったら消えた。疲れが見せた幻覚だったらしい。
合宿が終わり帰宅した私に、台所に居た母が開口一番
「○子、あんた、何か拾ってきた?」
エプロンを引っ張る見えない何かが居たらしい。


まさに「日常以上オカルト未満」な話。
軽妙な怪談だが、「木の間に作業服を着た若い男がニヤニヤ笑っていた…」というあたりは、ちょっとぞくっとくる。
それを一旦「幻覚だった」と片付けておいて、エプロンを引っ張る見えない何かが居たらしい。」と恐怖的に再登場させている。
母親の台詞である「○子、あんた、何か拾ってきた?」はユーモラスであるとともに、ちょっと恐い感じだ。
自身が登山で目撃した何かが、帰宅したら、自分の母親の方を向いている。
母親がしているエプロンを引っ張って、母親の方に興味を持っているように感じられる。
それに対するこの母親の平然とした態度は、「子ども対大人」という図式を思い浮かばせる。

母親は恐怖的な現象のなかで、頼りがいのある大人を演じている。
そういう大人の登場は、この話に接する子ども達の共感をさらに強めることだろう。
子どもは大人に対して希望を持ちたい存在なのだから。
この話に技巧的なものを感じるのは、山で自分(女子高校生)に見えたものが家の台所では見えなかったというところ。
それが、「見えない何か」のぶきみさを強調している。

インターネットのサイトや掲示板で見かけるオカルト物や超常現象物には面白いものが多い。
怪談は共感を得やすいから、面白い話が簡単にできてしまうということなのだろう。

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