雑談散歩

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桜と青空の写真

咲き誇る桜。
 「富士には月見草がよく似合う」と書いたのは誰だったか。

えっ、あの黄色いマツヨイグサがかい、と思ってしまう。

月見草と言えば聞こえが良くて、上品で清楚で可憐な花というイメージを持つ。

だが、月見草は外来種のマツヨイグサ(待宵草)の別名であることは野草ファンなら知っている。

マツヨイグサに上記イメージを感じてもおかしくはないが、外来種は在来種の生存を脅かすので、あまり良い感じを抱いていない人も少なくない。

夏の夕暮れに荒れ地と化した野原でマツヨイグサを眺めて、荒れ地には マツヨイグサがよく似合うと思ったこともある。

荒廃が似合う花なのだ。


桜は古来より日本を代表する花だと言われている。

そのせいか、日本的なものによく似合うようだ。

たとえば、お城とかによく似合う。

川と桜とか、残雪の山と桜とか。

富士山にも、津軽富士である岩木山にも、桜はよく似合う。

しかし、なんと言ってもよく似合うのは青空だろう。

まったく当然のことだが。

青空の晴れ晴れとした感じが、はれやかに咲く桜とベストにマッチする。

誰もがそう感じているから、「青空には桜がよく似合う」と言っても名言にはならない。

「富士には桜がよく似合う」と言っても同じく。

名言とは、意表をついたものでなければならないのだろう。

誰もが、予想だにしないことを言う、書く。

そしてそれが、案外、本質的なものに思えたりする。


小説「富嶽百景」では、退屈なバスの車上に乗り合わせた老婆が、「おや、月見草」と言う。

それも、バスの女車掌が、思ひ出したように、「みなさん、けふは富士がよく見えます 」と言った後。

バスの遊覧客が、富士山の方を眺めて、ざわめいているときに、ひとり老婆は、富士山とは反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、そう言ったのだ。

その断崖に、黄金色の月見草の花をひとつ、この小説の作者でもある主人公は目にした。

そして「富士には、月見草がよく似合ふ。」と思った。

富士ではなく月見草が良かったのだ。

富士を引き合いに出して、月見草を立派な花に見せている。

読者に、そうイメージさせている。

その裏では、当時の富士山のイメージと荒廃を重ね合わせていたのかも知れない。

「日本の象徴には、荒廃がよく似合う。」


澄んだ青空には、桜がよく似合う。

清純な風景に触れると、心が澄むような感じになる。


満開。
緑の若葉も顔を出し。

青空に手招き。

桜と青空。
桜の隙間の青空。

桜とともに見上げる青空。

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