つがる市木造の亀ヶ岡考古資料室(縄文館内)

農業者トレーニングセンターも兼ねた縄文館。


亀ヶ岡遺跡を見物したかったが、あいにくの雨。
そこで、大溜池の畔にある縄文館を訪れた。

その場所は、案内誘導看板があるものの、非常にわかりにくい。
集落の曲がりくねった道を通ったり、畑の中の細い道を通ったりして、やっと辿り着いた次第。

木造(きづくり)地区の農業者トレーニングセンターも兼ねた縄文館の一階に、亀ヶ岡考古資料室があって、主に亀ヶ岡遺跡の出土品が展示されている。
入場料は、大人200円。

「亀ヶ岡式土器」は、日本の縄文晩期の文化を代表する造形美を持っていて、特に精緻な文様や漆による赤彩などがある精製土器は、縄文土器造形の極致と言われている。
が、残念ながら、この縄文館には、そういう出土品は見当たらなかった。

見応えのある精緻な造形物を期待して訪れたので、少々、がっかり。
でも、それなりに面白い出土品見学が出来た。

「亀ヶ岡文化」についての説明パネルが展示してあったので、以下はその転載。

 日本を代表する縄文文化の一つである縄文時代晩期の亀ヶ岡文化、亀ヶ岡式土器とは、この縄文館が所在する木造町館岡(たておか)の亀ヶ岡遺跡に由来する名称である。
 亀ヶ岡文化は、北は北海道から南は東北地方南部と新潟県の一部までを含む広大な文化圏を形成した。秋に実りをもたらし、初冬に葉を落として再び春に若葉をつける、そういう季節感あふれる落葉広葉樹林帯の豊かな自然を背景に育まれたものである。
つまり、縄文時代晩期のものとして、この地の亀ヶ岡出土品に代表される様式の土器が、北海道から新潟県の一部まで、広い範囲で発見された。
そのため、亀ヶ岡式土器をもたらした文化を、「亀ヶ岡文化」と呼んで特徴付けている。


鏃(やじり)。

土偶。

土器類。

土偶頭部。

玉の砥石(といし)

プリミティブな土偶。



「亀ヶ岡式土器の特徴」という展示パネルがあったので、その説明文を以下に転載した。

 亀ヶ岡式土器の特徴は、器面を研磨(けんま)し粗製(そせい)と精製(せいせい)の土器を作り分け、深鉢形、鉢形、浅鉢形、皿形、台付鉢形、壷形、注口(ちゅうこう)形、香炉形などの多様な種類の器形と、入組み磨消(すりけし)縄文などの華麗な文様を器面に施して、装飾性の強い美しさを意識していること、である。・・・・・・
 亀ヶ岡文化を代表する眼部を誇張した遮光器土偶(しゃこうきどぐう)は、自然界と人々の生活の豊穣(ほうじょう)を祈るために作られた女性像である。その他に、岩偶(がんぐう)、土版(どばん)、岩版(がんばん)、土面(どめん)、石刀、石棒、石剣、耳飾り、翡翠生丸玉(ひすいせいまるだま)や勾玉(まがたま)、編布(あんぎん)、漆器など、いずれも高度な技術と文化の存在を物語る遺物が多い。 


土偶。


なお、この考古資料室に展示中の出土品の多くは、個人所有のものであるという。
地域の人々が、過去に、畑仕事の際に掘り当てた個人所有の土器などを、縄文館でお借りして飾っているのだという。
そのために、各出土品には所有者の名札が添えられてある。
このことが、亀ヶ岡遺跡の特徴となっている。

亀ヶ岡遺跡についてネットで調べてみると、以下のような遺跡発見の歴史と、乱掘による土器散失の歴史とを垣間みることが出来る。

(1)この遺跡は、弘前藩の2代目藩主である津軽信枚が1622年に、この地に「亀ヶ岡城」を築こうとした際、土偶や土器が出土したことにより発見された、と言われているが?
(2)この地区の丘から甕(かめ)が出土したことから「亀ヶ岡」と呼ばれるようになったという。
(3)この一帯には湿地帯が多く、築城の際に地面に木を敷いて道路をつくったので「木造村(きづくりむら)」と呼ばれるようになった、という。
(4)「亀ヶ岡城」は造りかけの状態で、江戸幕府の「一国一城令」が出たため、やむなく廃城となった。
(5)江戸時代に、この遺跡から発掘されたものは「亀ヶ岡物」と言われ、好事家に喜ばれ、 遠くオランダまで売られたものもある、と言われている。
(6)1万個を越える完形の土器が、勝手に発掘されて持ち去られたという。

それで亀ヶ岡考古資料室には「めぼしい土器」が無い。
かつて存在した縄文晩期の豊富な生活遺物が、散失してしまったという事実(史実?)を知ることも、この縄文館を訪れる意義のひとつであるかもしれない。

そういえば、私が小学生の頃、学校の先生から、「亀ヶ岡式土器」のいくつかが、終戦後、進駐軍の将校の手に渡ったことがあるという噂話を聞かされたことがあった。
それが真実だったかどうかは、不明であるが、土器散失は事実だったので、それを飾る虚構としての「作り話」であったのかもしれない。
現在は、無断で発掘することは禁止されている。

なお、出土遺物中で最も有名な、明治19年出土の「遮光器土偶」は、個人の所蔵を経て、現在は、重要文化財として東京国立博物館の所蔵となっている。
つがる市木造の縄文館に飾られているのは、そのレプリカである。


赤彩された土器。

注ぎ口のついた土器。

遮光器土偶

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