十和田市深持の梅集落「落人の里」

午前中仕事。
午後から、犬の散歩がてら八甲田へ。
青森市内は晴れていたが、八甲田は雨と乱風状態。
突風で折れたブナの細枝が道路に散乱していた。


梅集落に設置されている「落人の里の水」の看板


城ヶ倉大橋を渡って沖上平(おきあげたい)寄りの「八甲田そば処・きこり」で蕎麦を食べて、東に移動。
十和田市方面が晴れているのでは、という話を蕎麦屋で聞いたのだ。

雨の中、田代から県道40号線を十和田市に向かって走った。
山から下りたら、増沢あたりで、晴れ間が広がりはじめる。
深持を通過中に、「落人の里」という案内看板があった。
以前から見かけている看板なのだが、今回、寄ってみることにした。

一般に落人というと、平家の落人を思い浮かべるが、ここはちょっと違うらしい。
集落に設置された看板には、「戦いに敗れた武士が逃げ落ち、そして住み着いた山村が、この地であると伝えられる。」と書かれている。
また、「この集落一帯は土器の出土することから落人以前にも人が住んでいたであろうことは想像にかたくない。」とある。

その土器の展示施設は、ここには無い。
十和田市には、縄文時代から中世までの遺跡が何ヵ所かあるらしいので、山あいの梅集落から土器が出てきたことはあったかもしれない。

遺跡のような存在で、今もコンコンと湧き水が出ている場所が2箇所ある。
集落の西側(八甲田山寄り)の入り口付近に「西カドの水」。
集落の東側にある崖の下に「東カドの水」。
村人から「カドの水」と呼ばれているこの2ヵ所の湧き水は、昭和61年度に「私たちの名水」として青森県から認定されている。

さて、梅集落には、どんな落人の物語があったのか、それは明らかにされていない。
戦いに敗れた武士が逃げ落ちてここに住み着いたという言い伝いしか残っていない。

この集落一帯から出土した土器の持ち主達はどこへ消えたのか。
もし彼らが縄文人だとしたら、去らなければならない理由があったのだろう。
厳しい気候の変動が、彼らを新たな地に移したのか。
大陸から渡来し、この島国に居着いた民族に追い払われたのか。
先住の人達は、湧き水と土器を残して、どこかへ消えてしまった。
いったい、縄文人はどこへ行ったのか?

それから数千年間、無人の里で湧き水は流れ続けた。
やがて今度は、どこかから追い払われた人たちがこの湧き水の場所を見つけてこの地に住み着いた。
津軽為信によって滅ぼされた浪岡北畠の落武者だったかもしれない。
というふうに、根拠の無い空想だけが広がる。
八甲田山系の伏流水と言われている「カドの水」は、敗走と隠遁生活で築きあげられた、ひっそりとしたコミュニティを見守ってきたことだろう。

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