ブログのテーマは、愚直に日々を記録すること

山と森


ある人に、
「あんさんのブログのテーマは何?」
と訊かれた。

このとき、これと似たようなことを、かつて誰かから訊かれたことがあったなぁ、という思いが頭をよぎった。
「なんで山に登るの?山に登って、どこが楽しいの?」てな風に。

「山で体を動かすと、気分が良いから楽しい。」とか。
「山歩きは、自分のペースで行動できるから楽しい。」とか。
「高い場所から広い景色を眺めていると気分がいい。」とか。

「山は何回訪れても未知の空間。
その未知の空間に身を置くことで、気分をリフレッシュできる。」とか、
山を歩く楽しさは、山を歩いている途中で、いっぱい見つけることができる。

山登りに対する問いかけ同様、
「あんさんのブログのテーマは何?」という問いかけは、
「こんなブログ書いて、どこがいいの?」という否定的な意味合いを含んでいる。

「ブログのテーマってか、タイトルは『日常の小事』だし、まあ、それがテーマだね。」と言っても相手には通じない。
観念的過ぎるとか、漠然とし過ぎているとか言われてしまう。

実のところ、そう言われても仕方がない。
リラックスのための観念の浮遊みたいなところが、ないわけではない。
それが、言葉を使って思索することに、新鮮味をもたらしてくれるから。



空と雲と山



又聞きではあるが、バーナード・ショーの「劇場の視点まで拡大された自己暴露こそ、演劇芸術のすべてだ」という言葉には感じるところがある。

そこで、これを拝借して、
「劇場の視点まで拡大された日常の瑣末な物亊こそ、人生のすべてかもしれない。」という文句を作ってみた。

そして、これをヒントに、さらにアレンジを進める。
すると、「ネットの視点まで拡大された瑣細な日常の出来事こそ、ブログのひとつの方法かもしれない。」というブログのテーマらしい文句が出来上がる。
もちろんこれは一般的なテーマでは無くて、私自身の固有なテーマであることは言うまでもない。

山を歩くという行為は、一歩一歩の、歩みの動作で成り立っている。
「山歩きなんて、何が楽しいんだ」という人の目からみれば、その行為は愚直なものに映ることだろう。

その愚直な一歩一歩が、山を歩く人に、幸福感をもたらしている。
彼が目にする草花や森や山の峰々は、彼の記憶に刻まれ、彼の人生を豊かにしているに違いない。

日常の日々もまた、一歩一歩という行いから成り立っている。
それは、些細で取るに足らない物事として忘れ去られがちである。
だがそれを劇場の視点まで拡大してみれば、そこに人生の具体的な現実が、演劇のようにクローズアップされたものとして見えてくる。

ネットもまた、多くの人の目にさらされる劇場のようなもの。
その視点まで拡大された些細な日常の出来事を記録することが、ブログのテーマであり、方法であると思う。

多くの人々が、日常の日々を、些細なものとして忘れないために、だね。

一歩一歩山に登るように、愚直に日々を記録すること、だね。

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