芭蕉が演出する劇「旅人と我が名呼ばれん初時雨」

旅人と我が名呼ばれん初時雨 
松尾芭蕉

よく知られた芭蕉の句であるが、中句の「我が名呼ばれん」の意味がイマイチわからない。
「呼ばれん」の「ん」は推量の助動詞か。
昔、推量の助動詞「む(ん)」には以下の意味があると習った。

(1)推量(~ダロウ)
(2)意志(~タイ)
(3) 勧誘・適当(~ナサイ、~ノガヨイ)
(4) 仮定・婉曲(~トシタラ、~ヨウナ)

これを「旅人と我が名呼ばれん」に当てはめてみる。

(1)推量:私は旅人と呼ばれるだろう。
(2)意志:私は旅人と呼ばれたい。
(3)勧誘・婉曲:私の名を旅人と呼びなさい。
(4)仮定・婉曲:私は旅人と呼ばれているようだ。

はたして、この四つのうちのどれか?
それは、次のように、この「旅の劇」の「場」と「登場人物」しだいのように思われる。

(1)旅行先:行く先々で出会う人々は、私を旅人と呼ぶことだろう。
(2)見送り人に囲まれたスタート地点:これから旅に出る私は、今ここで皆さんに旅人と呼ばれたい。
(3)旅行を計画中の家で:家の者よ、私を旅人と呼びなさい、気分はもう旅の空。
(4)旅の途中の町で:この町の人達からも私は旅人と呼ばれているようだ。

様々な場で様々な人達に自身が旅人であることをアピールし、それによって旅人としての自己を確認する主人公の姿が思い浮かぶ。

「呼ばれん」の「ん」には、推量の助動詞の、全ての意味が込められているのかもしれない。
おそらく、芭蕉の時代には、「推量の助動詞」などという概念は無いはず。
現代の「古典文法」は後世の解釈。
現代人では、計り知ることのできない世界が芭蕉の句にあったのかもしれない。

そこに「初時雨」が加わる。
初時雨は、場の演出。
旅人となるだろうという漠然とした予感。
探求者としての旅人でありたいという志。
多くの人々から、「彼は人生を旅人として生きた」と認められたい願望。

「時雨」は冬の季語。
冬の初めに、降ったり止んだり、短時間のうちに変化する雨のこと。
この時雨が降り出すと、厳しい冬の到来となる。

旅の始まりに初時雨とくれば、「冬旅の劇」に緊張感が加わる。
それが、劇を観る者に、臨場感を抱かせる。

もしかしたら初時雨は観客のことであるかもしれない。
初時雨(観客)よ、私を旅人と呼んでおくれ、私は旅人として生き続けるのだから・・・。
観客は、ドラマチックな旅人の人生を予感する。
芭蕉は、観客の視線を、そういう風に誘導する。

作者、主演、演出を兼ねた芭蕉シアター。
「冬の旅」の劇のはじまり、はじまり。
「神無月のはじめ、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、」
と主人公が語り始める。
「笈の小文」の旅が始まったのである。

旅人と我が名呼ばれん初時雨

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