芭蕉の投影「冬の日や馬上に氷る影法師」

芭蕉は、東海道・吉田(現・豊橋市)の宿から天津(あまつ:現・豊橋市杉山町天津)を通って、杜国(とこく:芭蕉の愛弟子)の住む保美(ほび:現・田原市保美)に向かっている。

天津は、吉田と保美の中間から、いくらか吉田寄りの場所。

「笈の小文」で芭蕉は天津のことを「あま津縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所なり。」と書いている。

縄手とは、畦道のことらしい。
「あま津縄手」と書いているから、畦道とは言っても、多くの通行人が利用している「天津の縄手」というルートだったのだろう。

現在は、豊橋市から天津を通って保美に至る道は国道259号線となっている。
259号線は、昔、田原(たはら)街道と呼ばれていたルートに相当する。
伊良古(いらご)崎(現伊良湖崎)から吉田への最短の道として、当時はよく利用されていたらしい。

冬の日や馬上に氷る影法師
松尾芭蕉

上記の句は、芭蕉が杜国を訪ねる途上の天津の「たんぼ道」で作ったと言われている。
天津は、三河湾の中の田原湾の近くにある。
「笈の小文」記載の「海より吹上る風」とは、三河湾より吹きつける冬の北風のこと。

私がこの句を読んで思い浮かべたのは「旅人と我が名呼ばれん初時雨」という「笈の小文」旅立ちの芭蕉の句。
この句にある「旅人」は、冬の渥美半島・天津縄手で「馬上に氷る影法師」となって、自身の旅を継続中である。

旅の始まりで「初時雨」。
旅の途上で、身も凍るほどの寒風。
芭蕉は、自然の厳しさにじっと耐えている自身の姿を影法師に喩えている。
それは、旅人として生きようと決意した芭蕉に、天が与えている試練のようにも思える。
そういう劇の登場人物として芭蕉がいる。
「旅人」として「笈の小文」の舞台に立った芭蕉は、「旅人」としての様々な姿を観客に示さなければならない。

「冬の日や」の「や」は詠嘆の間投助詞、あるいは強調の間投助詞。
芭蕉が詠嘆し強調した「冬の日」とは何なのだろう?
「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」によると、この句の前に以下の二案があったという。

「冬の田の馬上にすくむ影法師」や
「寒き田や馬上にすくむ影法師」と改作を重ね、最終稿の掲句で「冬の日」が登場する。
延々と続く長い田んぼ道を、すくみながら進む芭蕉を、黒い冬の雲の合間から一瞬顔を出した陽の光が照らす。
田んぼに、馬に乗った芭蕉の長い影が現れる。

「冬の日」とは、旅人としての芭蕉の生き方を照らす光ではないだろうか。

ここでも芭蕉が、天空と自身が立っている地上との空間を意識しているとすれば、天空の光が地上の旅人に投影しているイメージが思い浮かぶ。

冬の厳しさのなかに身を置いている自身を、旅人としての生き方を照らされた影法師であると詩的に表現しているのではあるまいか。

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