天空の闇と地の千鳥の「ダブルイメージ」(星崎の闇を見よとや啼千鳥:芭蕉)

星崎の闇を見よとや啼千鳥  
松尾芭蕉

松尾芭蕉が旅先の鳴海(名古屋)の宿で作った句。
星崎は、その鳴海の西北に位置する。
星崎の地名の由来は、637年頃、この地に星が降ったことによると言われている。
星とは隕石のことで、星崎には「星宮社」という星にちなんだ神社がある。
また、1632年(1670年とも)、星宮社の南の南野村に隕石が落ちたという記録もある。

星崎は、その名の通り、星と因縁の深い土地柄であるらしい。
星降る里なのである。

芭蕉が星を詠んだ有名な句に、「荒海や佐渡に横たふ天の河」がある。
荒海をじっと見ていると星(天の川)に見え、星(天の川)をじっと見ていると荒海に見える。
荒海と天の河の「ダブルイメージ」が、遠く隔たった佐渡島を黒く浮き上がらせている。
荒海と天の河は、まるで、一枚の絵の中に組み込まれた二つのイメージのようである。

また、「一家に遊女も寝たり萩と月」。
この句の、萩と月も、天と地を表したダブルイメージのように見える。
萩と月のダブルイメージが遊女(の人生)を浮き上がらせる。

では「星崎の闇を見よとや啼千鳥」はどうであろうか。
これは、天空の闇と地の千鳥のダブルイメージとして見える。
啼いている千鳥は、あたかも天空の闇の中にいるようであり。
夕暮れに群れ飛ぶ千鳥に、芭蕉が暗示を受けて、描いたものが星崎の闇だったり。
このダブルイメージによって、星崎という土地柄が、独特のものとして浮き上がるように思える。

松尾芭蕉は、1687年、江戸深川を出発し、その年の冬、名古屋の鳴海に到着する。
鳴海の宿で芭蕉は、1632年(1670年とも)、この近くの南野村に星が落ちた話を耳にしたであろう。
また、鳴海の近くの星崎というところにも、遠い昔(637年頃)、星が落ちたことがあるという「旅の土産話」を聞かされたことだろう。
鳴海一帯は千鳥の名所としても知られている。

鳴海で催された句会に臨んで、芭蕉は「星降る里」のことが頭に浮かんだに違いない。
闇の奥のはるか彼方で、天空を飛ぶ流れ星を不吉なものと感じたのかも知れない。

旅には不安がつきもの。
当時の44歳に、現代のような若さはない。
まして冬の旅。

そんな不安な闇を、千鳥が啼いて現実に指し示している図を芭蕉は描いた。
と同時に、千鳥の鳴き声が、星崎の闇の奥から聞こえてくるような。

千鳥は、芭蕉の不安な心を代弁して啼いているのかも知れない
星崎の闇は、その不安を現実に見せようとしているのかも知れない。

そして、現実の千鳥もまた、星崎の闇を見ているのである。
その闇を見ろと芭蕉に啼いて迫る。

決して静かな闇ではない。
流星の閃光が、闇を切り裂く。
そんな光景が芭蕉の脳裏に浮かぶ。
芭蕉は星崎の近くに居て、改めて自然の驚異を強く感じたのだろう。

旅の先や、人生の先の、そんな闇を見ろと「星降る里」の千鳥が一斉に啼いている。
その闇はまた、啼く千鳥と一体であるようで、そんな闇夜を見よと啼いている。
啼いている千鳥は、芭蕉自身でもあるように見える。

星崎の闇を見よとや啼千鳥

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