芭蕉の遠望「さまざまのこと思ひ出す桜哉」

満開の桜の花

さまざまのこと思ひ出す桜
松尾芭蕉

藤堂家の句会に招かれての作と言われている。
藤堂家とは、芭蕉が青年時代出入りしていた藤堂新七郎家のこと。

句会は、藤堂新七郎家の下屋敷で開かれたらしい。
下屋敷は、芭蕉生家の裏手にある。
その下屋敷の庭に、桜の木があったのだろう。

シンプルだが、感慨深い句になっていると思う。
それは、日本人の季節感(季節を楽しむ生活感覚)に深く結びついた「桜」故かもしれない。
多くの人々の心情に残っている桜のイメージ。

いつの時代でも、桜は、人々の思い出に、様々な感慨を及ぼしてきたことだろう。
芭蕉は、目の前に、桜の花を現出(クローズアップ)させながら、歳月の流れを遠望(ロングショット)している。
いろいろな場面での桜と、その時々の、さまざまな出来事を思い出して、また、目の前の桜の花に視線を移す。

多くの人々は、それぞれ個別に、桜に関連するさまざまな思い出を持っている。
さらに、桜の花を見ていると、桜と様々な出来事とが懐かしさで結びつくように感じられる。
桜は、季節を通り越した、思い出の象徴のような花でもあるのだ。

あなたにも、「さまざまのこと思ひ出す桜哉」という心情がお有りではないか、と芭蕉が言っているようだ。

大災害の後も、桜の木が残ってさえあれば、時期になると桜の花が咲く。
去年は家族や、親しい人達と眺めた桜だったが、今年は、同じ桜をたった独りで眺めている。
地震や大津波で、家族や友人が亡くなったが、桜の季節は毎年やってくる。
身のまわりの様子が変わっても、桜は同じ桜なのだ。

芭蕉の遠望を今に感じながら、そんな災害地の桜のことを思っていると、本当に、様々な事を想い出す桜だと思う。

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