「丈六にかげろふ高し石の上」松尾芭蕉

かつて、そこに在ったものは、今は見えない存在になっていても、そこに在り続ける。
多くの人々が、そこに在ることを望んだものは、たとえ姿を消しても、そこに在り続ける。

芭蕉には、そういう思いがあったのだろうか。
あるいは、そういう思いを伝えたかったのだろうか。

丈六(じょうろく)にかげろふ高し石の上
松尾芭蕉

【丈六/じょうろく:仏像の背丈の一基準。仏は身長が1丈6尺 (約 4.85m) あるといわれることから仏像も丈六を基準としたという。】

「笈の小文」のこの句には、以下のような意味合いの前書きが添えられている。

伊賀国阿波の庄(現・三重県阿山郡大山田村)という所に俊乗上人の建物跡がある。
護峰山新大仏寺と言う。
名前は千年も昔から言い伝えられているが、今は、伽藍は崩れてしまって礎石だけが残っている。坊舎の建物は無くなって、そこは田畑に変わってしまった。
この寺にあった一丈六尺の尊像は、緑に苔むした地の下に埋ずもれて、その御頭の部分だけが目の前にある。
その御頭だけのお姿を、拝ませていただいているのだが、、上人の御影は、いまだに完全な様子。
それが、上人の生涯の名残と信じられて涙が出てくる。
尊像が置かれた石の蓮台や獅子の座は、ヨモギやつる草が、その上に盛り上がって高く・・・・・。

私の現代語訳は、これが限界。
だが、前書きのイメージとしては、こんなものではあるまいか。

「丈六にかげろふ高し石の上」

かつて、丈六の尊像が置かれていた石の上に、陽炎が高く揺らいでいる。
こんなに高く陽炎が揺らいでいるのは、かつて置かれていた尊像の影響なのだろう。
今は尊像の姿は見えないが、陽炎が尊像となっているように思えるのだ。
と、芭蕉が思い描いたのは、こんなイメージなのでは。

「丈六(じょうろく)」と「かげろふ」が、「う」と「ろ」の音で韻を踏んでいて、調子が良い。
「高し」と「石」の脚韻も名調子。
芭蕉の「劇」の「せりふ」が冴えている。
芭蕉の「劇」を見ることで、私たちのイメージはさらに広がる。
まるで、「俳諧」から「台詞(せりふ)」へ、「台詞」から「劇」へと、芭蕉によって巧みに誘導されているみたいだ。

芭蕉が廃墟の寺を訪れた時、実際に陽炎が揺らいでいたのかどうか。
それは時期にもよることだろう・・・・・・。

だが、何もない石の台座の上に尊像を見出そうとすれば、芭蕉には、それが陽炎となって見えたのかもしれない。

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