与謝蕪村の雛祭り「雛祭る都はづれや桃の月」
桃の花。「ひな祭りイラスト素材」より。 |
今は、時期的には厳冬期。
でも、青森はこのところ春めいている。
来る日も来る日も雪降り、という頃なのに。
道路の雪が融け出して、乾いたアスファルトが顔をのぞかせている。
道路の雪が融け出して、乾いたアスファルトが顔をのぞかせている。
吹雪の中で、春を待ち望む。
春は雛祭りとともにやってくるという思い。
桃の節句を心待ちにする人も多い。
桃の節句を心待ちにする人も多い。
だが、青森市の現在は、そんな気持ちを無くしてしまうほど穏やかだ。
厳しい季節が過ぎ去ってはじめて盛り上がるのが春の祭り。
今から春めいてしまっては、今年の雛祭りは精彩を欠いてしまうかもしれない。
雛祭る都はづれや桃の月
与謝蕪村
蕪村のこの句には、現代風の節句の賑やかさは無い。
江戸時代の、雛祭りを題材にした俳句には、ひっそりとした雰囲気が漂っているものが多い。
なかでも、上記の句のイメージは、ひっそり感において、その典型かもしれない。
すうっとあらわれた風景画のようなこの句に、好感を抱く人は、少なくないのでは。
こんなほんのりとした雛祭りがあったらステキだ、とか。
こんなほんのりとした雛祭りがあったらステキだ、とか。
蕪村は42歳頃から京都に移り住んでいたという。
この句が、何歳のときの作なのかは、私には不明。
この句が、何歳のときの作なのかは、私には不明。
この句にある「都」とは、居を構えた京の都なのかもしれない。
とすれば、42歳以降の句になる。
蕪村は45歳頃結婚して、「くの」という一人娘を授かったという。
その一人娘を思いながら作った句なのだろうか。
とすれば、42歳以降の句になる。
蕪村は45歳頃結婚して、「くの」という一人娘を授かったという。
その一人娘を思いながら作った句なのだろうか。
都はずれの鄙びた住まいに、雛人形がつつましく飾られてあるのを蕪村は目にする。
あるいは、そういう光景を、田舎家の軒先で思い描いたのか。
桃の節句の月明かりに浮かぶ雛祭り。
月の静寂な光が、都はずれにある家を包んでいる。
(1)「都はづれ」は田舎家のこと。
(2)「雛祭る」は、その家に暮らすつつましい家族のこと。
(3)「桃の月」は、春の穏やかな日々のこと。
この句を読むと、そういうイメージが湧いてくる。
厳しい季節を乗り越えて春をむかえる。
そのひっそりとした庶民の生き方が伝わってくるような句である。
(1)の田舎家は、もしかしたら蕪村が住んでいた家なのか。
(2)の家族は、一人娘を囲む蕪村夫妻のことか。
(3)の「桃の月」は穏やかな蕪村の心境だったのか。
雛祭りイベントが、質素な暮らしに彩りをもたらしていた。
そんな時代の田舎家を感じさせる蕪村の句であると思う。
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厳しい季節を乗り越えて春をむかえる。
そのひっそりとした庶民の生き方が伝わってくるような句である。
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(2)の家族は、一人娘を囲む蕪村夫妻のことか。
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