雑談散歩

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芭蕉が風雅を感じた「海士の顔先見らるゝやけしの花」

「卯月中比の空も朧に残りて、はかなきみじか夜の月もいとゞ艶なるに、山はわか葉にくろみかゝりて、ほとゝぎす鳴出づべきしのゝめも、海のかたよりしらみそめたるに、上野とおぼしき所は、麦の穂浪あからみあひて、漁人の軒ちかき芥子の花のたえゞに見渡さる。」

と句の前書きにある。

「4月(陰暦)の中頃の空は、春のぼんやりとした様子が、まだ残っている。
あっけなく短い夏の夜の月が、いっそう優美である。
その月明かりに、山の若葉は、深く濃く黒みがかって見える。
ホトトギスが鳴きながら渡来しそうな明け方は、海の沖の方から白みはじめてきた。
辺りがうっすらと明るくなると、上野と思われる所では麦の穂波が、朝焼けに赤みを帯びている。
ケシの花が咲いている向こうに、花の陰になって途切れ途切れに漁師の小屋の軒が見渡される。
そんな明け方の風景だ。」

上記、私の現代語訳は、なんとも頼りない。

この前書きによると、芭蕉が未明から明け方まで、須磨の風景を眺めていたことになる。
海や山や空が白み始めて、遠くの上野あたりの方角に、麦の穂波が朝焼けに赤く染まり、芥子の花と漁師の小屋とが重なって見えているのに風情を感じている様子が伝わってくる。

海士(あま)の顔先(まづ)見らるゝやけしの花
松尾芭蕉

芭蕉は、海女(漁師)の顔と芥子の花と、どちらを初めに見たのだろう。

未明から明け方にかけて、ずうっと海辺の風景を見ていたのだから、初めに見たのは芥子の花であるに違いない。
先(まづ)見えたのは芥子の花だった。

そのうち、時が過ぎて、海女(漁師)たちが起きて小屋の外へ顔を出した。
初めは芥子の花を見ていたのだが、夜が明けたら、その花の向こうに海女(漁師)の顔が見え始めた、というイメージなのか。

上記前書きに、上野とおぼしき所」とあるから、芭蕉は、かなり遠くから芥子の花畑(?)を見ていることになる。
「見らるる」の「らるる」は受身・尊敬・自発・可能の助動詞「らる」の連体形だとすると、「見てとれる」とか「見ることが出来る」の意であろうか。

(あたりは夜明け前の薄暗さなので、遠いところから見ていると)芥子の花畑の奥にいる海女(漁師)の顔も、最初は芥子の花かと思ったよ、という風雅の句のようにも思える。

海女(漁師)の顔を、可憐な芥子の花と見間違えるほど、優美な月に照らされた明け方の須磨の風景は、風雅であることよ、というイメージの句であるような気がする。

もっとも、このイメージは、句の前書きを読まないと湧いてこないものなのだが・・・。

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