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ひとつの物事や事態に対する考え方はいくつもある

2018/04/06
作業場の床に転がっていた鉛筆。
昼食後、事務所に戻って、何気なく作業場の床に目をやったら鉛筆が一本落ちていた。
あれ、どうしてこんなところに鉛筆が?
そう思ったのは、筆記用具は事務室で使うものだという錯覚(先入観)があったからだ。
変な錯覚だけれど。

午前中の作業を振り返ってみた。
そういえば、図面をチェックしたとき、事務室から鉛筆を持ち出したのだった。
と、思い出した。

床に転がっている鉛筆を見て思い出す。
つまり、この鉛筆の過去の事について考えたことになる。
と同時に、床に転がった鉛筆を見下ろしながら、この鉛筆で何ができるだろう、とも考えていた。

そしてこれは、我ながら、かなりセンスの良い態度だな、と思った。
自賛。
床に転がっている鉛筆を見て、この鉛筆でできる未来のことについて考えたことになるからだ。
  1. デジタルイラストの元になるスケッチが描ける。
  2. 昨日行った山行の地形図に、新たなルートの線が引ける。
  3. 見積書を再検討するためのチェック用に使う。
  4. 業者への問い合わせの要点をメモする。
  5. 作業場にも、鉛筆置き場を設定する。
などなど、あまり大したアイデアは湧いてこなかったが。

この鉛筆の、2時間ぐらい前の、過去のことは限られている。
作業中に落として、そのまま気がつかなかったこと。
用が済んだ鉛筆を元の場所に戻さなかったこと。

でも、この鉛筆でできる未来のことは無限にあるように思われる。
それはアイデア次第。

ふたつやみっつ思いついただけでも上出来。
なによりも、落ちた鉛筆を見つけて、これでできることは何かと、未来のことについて考えたことは、私にしては、たいそう上出来である。

鉛筆がそこに落ちている過去の理由は、それほど重要ではないと思う。
ただ、「ああ、うっかりしていたなぁ。」と振り返るだけ。
振り返るだけの人生。

人は失敗すると、すぐその原因について思いをめぐらす。
どうして失敗したのか、とか。
どうすれば失敗しなかったのか、とか。

その失敗は必然だったとか、いや偶発的なものだったとか。
その失敗の過去の来歴について考えてしまいがちだ。

もちろん、同じ失敗を繰り返さないためにも、反省は重要さ。

でも、失敗が偶然だったとしても、その失敗は何かを生むための必然であったかもしれない。

有名な話が、アレキサンダー・フレミングのペニシリンの発見。
実験の失敗から生じたアオカビを、フレミングは人類初の抗生物質であるペニシリンの発見につなげたのだ。

また、あるヒット商品が、まったく意図しない失敗から生まれた、なんて話はたくさんある。

だから、もし、あなたの失敗が床の上に鉛筆のように転がっていたら、この失敗で何ができるか、について、いろいろ考えてみたらどうだろう。

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