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「シェー」のポーズの銅像「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)之像」

2019/12/02
花壇の真ん中に「シェー」のブロンズ像。

青森市の平和公園内に、チューリップの花壇がある。
その場所は、公園の中央部よりやや西寄り。
上の写真のように、今はもう咲き終わったチューリップ花壇の真ん中には、「シェー」のポーズをした銅像が立っている。

「シェー」のポーズとは、今は亡き赤塚不二夫氏の漫画「おそ松くん」に登場するイヤミという人物のポーズ。
彼がびっくりしたときに、「シェー」と奇声を上げながら、手足を上げて曲げる有名なポーズだ。

この銅像は、「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)之像」と名付けられている。
銅像の作者は古藤正雄氏、原画は棟方志功氏の作だという。


漫画「おそ松くん」に登場するイヤミのポーズ。

「天宇受賣命(アメノウズメノミコト)」と言えば、日本神話で、天照大神(アマテラスオオミノカミ)が天(あま)の岩屋に隠れた際、その前で踊り、天照大神を誘い出した女神のこと。

私が田舎の小学生だった頃、学校推薦の映画で「日本誕生」というのを観たことがあった。
「日本誕生」は東宝映画で、「古事記」を題材にして作られた映画。

主演は三船敏郎だったが、「天宇受賣命」の役は、乙羽信子さん。
「天照大神」の役は、なんと原節子さん。

「天照大神」が天岩戸(あまのいわと)を少し開けて外の様子を伺ったとき、その岩戸を全開にして
「天照大神」を外に連れ出した手力男命(タヂカラオノミコト)の役は、朝汐太郎(大相撲第46代横綱)だったことをよくおぼえている。

天岩戸の前に設けられた特設ステージで踊る若き乙羽信子さんの姿を、私は、子どもながらにドキドキしながら見ていたのだった。

銅像の台座部分。「天宇受賣命之像」の銘板がはめ込まれている。

「天宇受賣命」役の乙羽信子さんは、この銅像のように裸に近い格好ではなく、薄い衣で身を隠して踊っていたのだったが・・・・。
その踊りの際に、この銅像のような「シェー」のポーズをとったかどうか、それは覚えていない。

赤塚不二夫氏の「おそ松くん」は、「週刊少年サンデー」に1962年16号から1967年33号まで連載されている。
この銅像が設置されたのは、台座裏の看板によれば、1973年頃だと思われる。
イヤミの「シェー」ブームは1970年代まで続いている。
しかし、銅像作者の古藤正雄氏がイヤミの「シェー」ポーズにヒントを得たかどうかは明らかではない。

ちなみに銅像の原画が、棟方志功氏の「天乃宇受女之美胡登図(アメノウズメノミコトズ)」であるなら、この原画は、銅像のような「シェー」のポーズをしていない。

どこかに、棟方志功氏制作の、「シェー」ポーズのスケッチがあるのだろうか?

下方から失礼。

銅像裏の説明看板には、以下のように記載されている。

 天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時
盛大な岩戸神楽が催されました。この像はそ
の時の天宇受賣命の舞姿です。その舞があま
りに滑稽であったので、人々はどっと笑い転
げ、その時から天地に光明が輝き、喜びのど
よめきが湧き起こったと伝えられています。
 青森市民はねぶた祭りに激しい情熱を燃やし
ますが、その時の華麗な乱舞はこの時の命の舞
を思わせます。祭りと踊りは和楽の源であり
平和の表徴です。そのことから、青森信用金庫
理事長横山實氏(青森市名誉市民)が、創業
六十周年を記念してこの像を平和公園に建立された
ことはまことに意義が深い。特にこの像は、
本市の名誉市民棟方志功画伯が、積年の構想
を一気に画きあげた原画をもとに彫像したも
ので、その豊かな表情は稀有の芸術作品であ
り、本市の誇りとして永く後世に顕頌(ママ)したい。
 なお、彫像作者は古藤正雄氏である。

  昭和四十八年十一月十七日
   青森市長 奈良岡末造 撰書

以上、看板より引用。


ともあれ、全国のシェーポーズ愛好家には、なんともたまらない銅像ではあるまいか。

台座の裏に、この銅像についての説明看板がある。

後ろ姿がカッコいい。
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